Log of ROYGB

はてなダイアリーが廃止されるので、引っ越しました。

なんででも

http://deztec.jp/design/08/02/13_expect.htmlの「頭ごなしの否定はいらない」に書かれていたことに関して。

母は「高校に行きたいなら、行かせてやります」「大学に行きたいなら、行かせてやります」「お勉強したいなら、させてやります」万事、この調子だった。「行きたくないなら、行かなくてよろしい」「したくないなら、しなくてよろしい」とも、いっていた。

無論、親として期待するところは明確である。こちらが道なりに歩んでいるときは何もいわないが、違う方へ行くと質問攻めが待っている。

http://deztec.jp/design/08/02/13_expect.html


親子が逆のパターンを連想しました。子供がいろいろなことを質問するのは、何かを知りたいという知的好奇心の表れによるもので、出来る限り時間をとって真剣に対応しましょうなどということが育児書などには書いてあります。しかし、そうではない質問についても書いてあります。
例えば「勉強しなさい。」に対して「何で勉強しないといけないの?」とか、「机を片付けなさい。」といわれて「どうして片付けないといけないの?」といったような物です。これらは知的好奇心を満たすための質問というよりは、自分がやりたくない言い訳の要素が強い物です。こんな場合にも、いちいち対応すべきでしょうか。一つ答えても、それはどうしてという質問はどこまでも続けることができます。
そんなときは「なんででも!」といったことを言って質問を封じるという方法も、何かで読んだことがあります。


大人でも、質問を質問としてではなく言い訳や非難、否定のために使うことがあります。「これはどうしてですかっ!」といっている人に、質問に対する回答を言うことはあまり意味がありません。かといって子供に対するように「どうしてでもっ!」ということも出来ないのが悩ましいところです。
具体的な例として「何故今はてなは京都に移転するのか?」という言葉があったときに、単なる質問か、移転反対の意思表示か、非難なのかということが意図として考えられます。それを確かめるには、「移転に賛成ですが反対ですか?」と聞いたり他には「京都移転の問題があるとすれが何でしょう」とか「どういったことが知りたいのですか」などを聞くなどして判断する必要があるでしょう。もっと直接的に「それは質問ですか?」と訪ねる方法もあります。質問であるという回答が得られたら、後日回答しますなどと対応することも出来ます。


質問形式ではないですが「○○にはAという問題がある。」という意見があった場合に、それが「○○に賛成。しかしAという問題があるのでなんとかして解決しよう。」なのか「○○に反対。その意見を補強する問題がAである。」かでは全く違う意見になるでしょう。


このエントリーの内容をひとつの文にまとめると以下のようになります。

質問攻めには、それが「答えを求める疑問」なのか「否定的な意見の表明」なのかがわかりにくいという問題がある。


(22日追記)
ソフトウェアなどの設定にも似たようなことがあるかもと思いました。ソフトの想定しているデフォルトの設定で使う場合には特に何もしないでいいけど、自由に決めたいと思ったらいろいろ設定する必要がある。はてなダイアリーなどでもデフォルト設定やテンプレートから選ぶまでは簡単だけど、それとは違うことをやるにはCSSなどで設定する必要が出てくといったようなこと。