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天の向こう側

アーサー・C・クラークの「天の向こう側」を読みました。だいぶ前に読んだはずですが、だいぶ忘れていました。
「遥かなる地球の歌」は別バージョンが「太陽系オデッセイ」に入っているとのことで読み直してみました。その最初に書かれていた「クラーク改題」から印象的な部分を引用します。

わたしにとり憑いたのは、それだけではない。ちょうどわたしは、大ヒットした二本の宇宙スペクタクル映画を見たばかりだった――“スターウォーズ”と“未知との遭遇”である。“スタートレック”も依然として世界中で再放送されていた。
みんなよくできていた、わたしは大いに楽しませてもらったが、一つだけ三者すべてに共通しているkとがあった。いずれも厳密な意味では、SFではなく、ファンタジーだったことである。
むとん、わたしはファンタジーも、SFと同じくらい大好きだ――文学的水準はふつうSFよりも高くもある――だが、この量ジャンルにはれっきとした違いがある。評論家たちは何十年にわたって、両者を定義づけようと努力してきたが、あんまり成功はしていない。わたしの実際的な定義はこうだ――ファンタジーとは、現実の世界では尾きり得ない(だが、そうあってほしいとしばしばねがう)ことで、SFとは、現実に起こりうる(だが、実際にそうなるとしばしば後悔する)ことである。
現代のわれわれは、光より早く飛ぶことは永久に不可能だと、九九.九九パーセント確信している。そうなると、いちばん近い恒星系まで行くのにも、何十年もかかることになる。ファンタジー作家にとっては、そんなことは問題にもならない。アインシュタインも気づかなかった抜け穴があるかもしれないという、〇.〇一パーセントの確率に嬉々として賭け、毎週一回ずつゴールデン・アワーで、文明を救って入ればすむからだ。

新潮文庫「太陽系オデッセイ」より引用


これを読んだときにテッド・チャンの書いた「科学と魔法はどう違うか」という文章*1を連想しました。SFというものに対する考え方が似ているのでしょう。そして「天の向こう側」に収録されている「暗黒の壁」はテッド・チャンのある作品を思い起こさせます。どの作品かを書くと、結末の想像がついてしまうのですが「あなたの人生の物語」に収録されている作品です。


「機密漏洩」という作品はSFドラマが舞台になっていて、「白鹿亭綺譚」の中の作品を連想させます。テーマも結末も似ています。「九〇億の神の御名」も考えかたによっては同類としてあつかえるような気もします。


終末を扱っている点で「その次の朝はなかった」、「宣伝キャンペーン」、「この世のすべての時間」は似ています。「宣伝キャンペーン」は「幼年期の終わり」やその元になった「守護天使」と共通するアイデアを使っていますが処理の仕方は全く異なっています。
それから「星」も終末という点では前の3つと同じです。これを読んで連想したのは「救援隊*2」。舞台は違いますが、文明の危機を迎えたのは同じでそれに対して出来うる限りの対処をしたのも同様です。そしてそこに訪れた異世界の宇宙船というシチュエーションまで同じです。「星」の方は、別のテーマを追加してあるので全体の印象としては違いますが。


「天の向こう側」と「月に賭ける」はどちらも連作短編で、前者が人工衛星で後者が月面探検を扱っています。通信衛星が有人で運用されているのには違和感がありますが、補給ロケットが無人で運用されていたりするのは現実の国際宇宙ステーションみたいです。



天の向こう側 (ハヤカワ文庫SF)

天の向こう側 (ハヤカワ文庫SF)


太陽系オデッセイ (新潮文庫)

太陽系オデッセイ (新潮文庫)

*1:SFマガジン2008年1月号に掲載

*2:太陽系最後の日