Log of ROYGB

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小遣いと寄付と教育

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20090214/1234613042の「夫婦で決めた小遣いの中から寄付をするのはアリかナシか - 煩悩是道場」と、紹介されているhttp://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0213/225001.htmの「私の寄付に主人の怒り 家族・友人・人間関係 発言小町 大手小町 YOMIURI ONLINE(読売新聞)」に関して。


小遣いというのは本人の自由に使えるお金というように理解してます。でもまあ意見を述べる自由もあるわけで、使い道などに対して意見を述べるのも認められるべきでしょう。


自分のお金をどうしようと本人の勝手だとはいっても、それに賛同する必要もありません。アシモフ小説「不毛なる者へ」には、謎を解かせる為の方法として望ましくないと皆が考える所への寄付が登場します。

「ここにはこう書いてあります。『諸君がしめし合わせて、ゲームを受けて立つよりは金を放棄しようという結論に至ることは充分予想される。そういうことであれば、あるいはまた、ゲームを受けたたったにしても、謎を解くことができぬならば、わたしは断固として、無条件でこの金をアメリカ・ナチ党に遺贈する。』」


創元推理文庫黒後家蜘蛛の会3」361ページから引用。


小説の例は極端にしても、あまり賛同できない寄付の対象があるというのも確かでしょう。発言小町の質問では、寄付自体の是非というのよりは他にもっと有益な使い方があるというような考え方なのかなと思いました。
寄付するのであれば息子の為に貯金というのに一理あるとしても、それに全面的に賛同するわけでもありません。子育ての方針と言うか、子供に「困っている人を助けることは良いことだ。」と教えるつもりであれば寄付なんて無駄というようなのはどうかとも思います。少し露悪的な言い方をすれば、「この貯金は、お母さんが困っている子供を助ける為に寄付をしようとしたのを止めさせて、君の為に貯めたものだ。」と子供に言えるのかということを考えます。


子供の教育に寄付を利用した例として、http://deztec.jp/design/06/06/06_life.htmlの「つつましく生きる」が思い浮かびます。

かつて私の両親はフォスターペアレントをやっていて、貧困国の少年たちの就学を支援していました。一応、私の小遣いの半分がそれに使われているということになっていて、だから被支援者の少年が送ってくる手紙には、私の名前が書かれていました。「**様、いつも温かいご支援ありがとうございます……」

強く印象に残っているのはネパールの少年です。私よりふたつくらい年上。ひょろひょろで背が高く、いつも小さな母親を大事にする孝行息子で、大勢の弟や妹の面倒をよく見る優しいお兄さんでもあったという。最初は字が書けないので現地ボランティアの聞き書きが送られてきました。その次は幼稚園児の描いたような絵。それが次第に小学校1年生のような絵手紙となり、小学3年生の作文くらいまで成長しました。結局、支援事業は失敗し、彼は学校をやめて農業に専念することとなるのです。そのとき、私はまだ中学1年生。

http://deztec.jp/design/06/06/06_life.html

http://deztec.jp/design/05/03/26_world.htmlの「フォスターペアレントの思い出」にも書かれていますが、それらを読む限り教育効果はあったように思います。言葉だけよりも、実際の行動などが伴った方が何事につけ効果はありそうです。
ただ、これを単純に真似してうまくいくかどうかも確実ではなくて、子供が「寄付は止めるのでその分の小遣いをくれ。」などと言い出さないとも限りません。その意味では、子供の小遣いから出すという形のデメリットも考えられるし、そういった場合にどうするかを考えておくことも必要でしょう。



もうひとつ思い浮かんだのがhttp://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20060106/1195815132にある『子どもにわかる「思想」 - Ohnoblog 2』の後半部分で紹介されている「しんせつな地主さん」という本について。

ある村に、地所もちの金持ちの百姓がいた。チャードンというその男は、広い農地や多くの家畜を所有し、店や宿屋や製粉所を経営し、酷くケチで無情な者として知られていた。

冒頭から、作男ウィルとチャードンの会話である。解雇しないでくれと懇願する哀れなウィルにチャードンは、

「おれの時間をむだにするやつは、おれの金をむだにするんだ。きさまは、おれの時間をむだにした」

と責め、延々と罵倒する。ウィルは、

「おめえやおめえの身内が、おらになにかたのむようなことになってみろ」

と捨てゼリフを吐いて去る。

その村でチャードンに搾取されていない者はおらず、彼だけが大金持ちで村の人々は貧困に喘いでいた。

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20060106/1195815132


チャードンをかえたきっかけはある女性で、のちに結婚して子供もできます。そして最後には全ての財産を失ってしまいます。つまらぬ親切心で全てを失ったというのは極端な考え方だし、お金では得られない大切なものを手に入れたというのも別の意味で極端です。リンク先では『「善意と自滅」の話』として紹介されています。この「しんせつな地主さん」は「ムギと王さま」に収録されているようです。(27日追記)岩波少年文庫の場合は「天国を出ていく」の方に収録されているみたいです。(追記ここまで)
家族とは関係ないけれど自分の持つ物を他者に与えるという点で「幸福な王子」とも似ているかも。あと昔のアニメで「ペリーヌ物語*1の後半に出てきた工場主のビルフランの変遷なども連想しました。



ムギと王さま―本の小べや〈1〉 (岩波少年文庫)

ムギと王さま―本の小べや〈1〉 (岩波少年文庫)


天国を出ていく―本の小べや〈2〉 (岩波少年文庫)

天国を出ていく―本の小べや〈2〉 (岩波少年文庫)

*1:原作は「家なき少女」もしくは「家なき娘」などのタイトル。