Log of ROYGB

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視覚と聴覚

目で見るのは光で、耳で聞くのは音です。音というのは空気の振動で、光は電気の振動です。振動という点では同じですが、空気と電気というのが違うのと、振動の速さも違います。
そういった物理的な音と光の性質にも少しは関係あるのですが、人間の感覚としての視覚と聴覚の違いについて考えて見ます。


音を聞く場合、どこの音なのかという位置についてはあまりはっきりしません。音が右側か、それとも前方からかといった大まかな方向はわかるとしても、二人並んでいる人が同時に話した場合に、耳で聞いただけでどちらが右にいるのかはまずわからないでしょう。
その一方で、二人が同時に話しても、それぞれの声を別の物として区別することができます。ピアノで複数の鍵盤を押した場合にも区別が可能です。ドとミの音を同時に聞いても、間のレの音になったりはしません。


視覚の場合は複数の光が同時に目に入ると、複数の色としてではなく別の色として感じます。三原色を使うことで、他の色を表すことができるのはこのためです。音で言うとドとミの音を混ぜるとレに聞こえるというな感じでしょうか。
位置に対しては音と違ってかなり敏感です。並んでいる物のどちらが左にあるかが見てわかるのは当たり前のことのようですが、音では出来ないことです。


この視覚と聴覚のお互いに違った性質を取り入れたらどんなことになるでしょうか。
まずは聴覚で、音のくる方向が視覚のように明確にわかるようになるにはどうしたらいいでしょうか。耳が2つでなく、もっと沢山になれば実現できるかもしれません。目も2つですが、光を感じる網膜はデジタルカメラでいうと数百万画素以上の分解能を持ちます。
指向性の鋭いマイクを沢山並べることで、ある程度は見るのに近い形で音を記録することは出来そうな気はします。


複数の色が混ざった光を別々の物としてとらえるには、光の周波数ごとに分けるという方法が考えられます。プリズムのような物を使うと、光を周波数ごとに分けることができます。耳の場合は音の高低によって数千以上に分けたものを認識しているようです。耳の聞こえない人の治療に使う人工内耳という装置がありますが、これは20種類の電極で音を伝えています。
耳の場合は天然が数千に対して人工的には僅か20ではありますが、光の場合の三原色の3つに比べれば多いです。人工網膜のようなものが実現したとして、三原色よりも多くの区分けが実現したらどう感じるのだろうかなんてことを考えます。
デジタルカメラなどでも、現在のセンサーは光の強さを感じるだけなので三原色のフィルターを使うことでカラーを実現しています。これが光の強さと周波数を同時に感じることのできるセンサーが実現したら、人間には同じ色に見える物でも区別が可能になったりするのかもしれません。


音を細かな位置まで感じることが出来た場合に、音を見るとでもいうようなことになるのだろうかということを想像します。複数の音源を並べたものを「音による絵画」のようなものとして感じることができるのか。
光の場合も、複数の音を和音として感じることが出来るのと同じように、複数の光による和色のハーモニーといったものがあり得るのだろうかとか。