信じなくてもプラシーボ
偽薬だと知って飲んだ場合にはプラシーボ効果は現れないのでしょうか。
そんなわけで、プラセボ効果のまったく期待できない患者が、ここに誕生したことになる*2。
*2 プラセボが成立する最低限の条件は「その治療が効く」と信じていることである。
http://sho.tdiary.net/20100526.html#p01
もし信じないことでプラセボ効果が現れないとしたら、二重盲検法じゃなくても全員に新薬を飲ませて「これは偽薬ですから。」と説明すればブラセボ効果に影響されない薬効が調べられるということになりそうな。*1
もうひとつは何かを信じる信じないというのが、それほど明確に分けられるのだろうかということ。信じながらも疑ってしまうことや、信じていないと言いながらも期待することもありそうです。
最近読んだ「さよならペンギン」*2という本の中にもそんなことが書いてありました。
たとえば。長い長い振り子のそばに立っている。細い鉄線で吊られた重い振り子の先には、なぜか鋭い刃が取り付けてあって、もし少しでも触れようものなら、ただでは済まない。この振り子を、そうっと持って、目の高さまで引っぱって持ち上げてくる。ある高さのところまで持ち上げておいて、手を離す。ぶん、と手を離された振り子は加速しつつ進んでゆき、何秒も経って、ようやく向こう側の最高点で重々しく停止する。やがて振り子はこちらに向け、うなり声をあげて戻ってくる。
このときに、思わず飛び退いてしまうかどうかが、物理を学んだものと、それ以外の差とされる。あたりまえだが、エネルギーは保存し、振り子がもとの高さよりも高く振れることは絶対にない。摩擦による系からのエネルギー損失がゼロに近いとしても、振り子から手を離したその高さで待っている限り、実験者が振り子に危害を与えられることはない、はずだからだ。
しかし、なんだここは上司が読んでいるわけではないので、思い切って言おう。余人(余物理学者諸氏)は知らず、私は、きっと、平静でいられない。なんだか思わず正直に飛び退く、そんな気がするのだ。
http://onisci.com/563.html
これは本ではなく「大西科学」*3の「振り子の下」からの引用ですが、本に書いてあったのもこういうことです。科学的に考えれば振り子をよける必要は全く無いのに、人間の心理として逃げてしまう。他にも確率的な考えかたが直感に反することなども書いてありました。
表面的なというか言葉で考える意識的な思考としては逃げる必要は無いと考えているのに、何故か振り子から飛びのくようなことが、プラセボ効果にもあったりするかもしれません。
知覚できる意識としては「そんなの効かない。」と思っていても、心のどこかで「もしかしたら」と感じているようなことがあるとか。
とはいっても、本人にわからないように偽薬をこっそり飲ませた場合に何か効果が出るかと考えると、信じる信じないはともかく何らかの薬を飲んだという自覚は必要かもしれません。
*1:もう少し厳密には薬を飲まないグループとの比較も必要だけど、これはブラセボ効果でなく自然治癒の効果を除外するため。