Log of ROYGB

はてなダイアリーが廃止されるので、引っ越しました。

意識と無意識と予測

例えば株式市場の値動きを予想する方法が見つかったとする。しばらくはその方法を使って儲けることが出来るかも知れないけれど、しばらくすると予測できなくなる。これは予測によって行われた取引によっても株価を変動させてしまうから。つまり、予測自身も株価を決めるパラメータの一つになってしまうから、最初の予測方法は使えなくなる。
専門的なことを言われてもわからないので、なるべくわかりやすく説明して欲しいと頼んだら、友人は株式市場にたとえた説明してくれた。
人の自由意志もそれと同じことなのかとボクが尋ねると、はっきりしたことはまだわかっていないので、単なる仮説だというこたえがかえってきた。
そもそものきっかけとしては人の意識について研究している友人が、人の意識は無意識の反応の結果として存在し、端的にいうと自由意志というのは存在しないという研究結果について説明したことだ。意識が無意識の結果だとしてもそれだけでは自由意志が存在しない証拠にはならないのではと疑問を呈したボクに対して、脳内での無意識の反応を測定してデータ処理をすることで、意識によって決断されるとされるよりも前の時点で決断内容がわかるのだというのが友人のさらなる説明だった。
それならば、スイッチを押す前にランプを点ける装置は作れるのか。これがボクからのさらなる質問。つまり、スイッチを押すという意識による決断が、それよりも前に無意識によって決定されていて、それを外部からの測定によって知ることが出来るのなら押す前にランプを点けることも出来るはずだということ。

装置は実際に作られて、実験は行われた。ボクも発案者として、実験の被験者にかりだされた。そしてボクは何とかして、装置を出し抜くことができた。つまり、ランプが点いてもスイッチを押さないことができたというわけ。
ボクは友人に、やはり人の意識的な決断が無意識の反応で決まるということは無いというのをわが身をもって示したのだけど、それに対する説明があの株式市場の予測に関する話。
結局のところ自由意志はあるんだとうかそれともないんだとうかとボクはときどき考えている。もしくは無意識の反応による結果としてそういう状態になっている。



以前に書いたもの。
ランプとボタン(1)