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手記と神話

小説などの物語には大きく分けて2つのタイプに分けることができるのではないか。それは手記と神話。


手記は、個人の体験を書いたもの。たとえばガリバー旅行記やシャーロックホームズシリーズなどで、ガリバーという船乗りが体験したことを書いた物、ワトソン博士が記録した事件簿という形式をとっています。これらの手記形式は現実にも存在するので、フィクションであってもあたかも現実であるかのように読み手が感じることが可能になる。


神話はそれを書いたのが誰なのかが不明であり、通常の人間の能力では知りえないことも書くことが可能になる。たとえばキリスト教旧約聖書における創世記。これは神が何もないところから世界を作り出したことについて記述されているけれども、それを見た人間はいません。ギリシャ神話などもそうですが、ペルセウスの冒険などは手記形式かも。ほかにイソップ童話のようなものも、誰かの体験を書いた手記ではなくどちらかというと神話に属する物語でしょう。
神話形式だと、いわゆる神の視点から登場人物では知りえないことを描写することもできるので、その点では手記よりも優れているとも言えますが、個人の体験という形式からは離れるので共感は得にくい部分もありそう。


手記形式でも複数の視点をとり単独の場合よりも記述できる範囲を広げることで、神話形式のような効果を得ることも可能。レ・ミゼラブルなどは複数の登場人物の視点からの描写が、物語に深みを出しています。しかし、この場合でも現実に誰かが書くことが可能であるという体裁から外れないのであれば、神話でなく手記に分類すべきでしょう。


逆に形式的には手記であっても、それを書くことが不可能であればそれは神話とするのが妥当。我輩は猫であるという話は、語り手が猫であることを除けば普通の随筆とも言えますが、実際に猫が語ることは不可能であることから考えれば手記ではなく神話となりそう。
他に手記形式で1人の人物による語りであっても、死ぬ直前に考えたことなどが描写されていたら手記ではなく神話形式。


手記形式は個人の体験やそれをまとめたものとして、体験の代替としてのリアリティがある。神話形式は人では知りえないことがらについても描写することができる。