Log of ROYGB

はてなダイアリーが廃止されるので、引っ越しました。

不老不死

人力検索はてな」の質問に回答した。
http://www.hatena.ne.jp/1129466660にある

「死」の不条理さを肯定する方法がないか考えてください。

克服する方法は、無いと思います。
しかし、肯定はできるのではないでしょうか。

これを考える材料として「完璧な不老不死」を使います。
神様にお前を「完璧な不老不死」にしてやるぞと言われたときにきっぱりと断れるように
なりたいのです(同時に他人を「完璧な不老不死」にする能力も得ることができます)。
私の今の心境では、よろしくお願いしますと言ってしまいます。

「完璧な不老不死」になったときに人は、明らかに不幸になると証明してください。

宗教的な回答は除きます

という内容の質問。
不老不死になった場合に不幸になるという証明はできないと思う。強いてやろうとすれば、「AならばB」という文が真になる条件で、Aになる場合がないときはBに何を持ってきてもいいというのを使って、”不老不死はありえない、故に「不老不死になった時には不幸になる」は真。”ということも出来るが、これは屁理屈というものだろう。

「不老不死」について考える場合、「不老」と「不死」を考えるとわかりやすい。
例えば、「ガリバー旅行記」に出てくるラグナグ国でごくたまに生れる「ストラドブラグ」と呼ばれる人々は、不死だが不老ではなく際限なく年をとっていく。ちなみに、この話の出てくる第3部にはラピュタや日本も登場する。
「不老」だが「不死」では無い例として、ドイツのSFで「ペリー・ローダン」シリーズに出てくる「細胞活性装置」は、それを身に着けている者の老化を止める。しかし、銃で撃たれたりして死ぬことはある。つまり不死では無い。小説中では「相対的不死」という呼び方をしている。
八百比丘尼」という人魚の肉を食べて不老不死になった人の話もある。
銀河鉄道999」には、機械の体が永遠の生命つまり不老不死をもたらすものとして出てくるが、それよりも生身の体の限りある命の方がすばらしいというのが主人公の哲郎の出した結論だ。