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逆宝くじ

逆宝くじというのを考えてみました。1枚受け取ると100円がもらえます。その代わり当選した場合は賞金を払う必要があります。要は、今の宝くじのお金の方向を逆にしたものです。
この逆宝くじは、確率的に考えると受け取れば受け取るほど特をすることになります。100円の受け取りで、支払いの期待値が40円ならば、平均して100円受け取るごとに60円の得と考えられます。

支払いがお金で無い場合はどうでしょう。1枚につき100円がもらえる逆宝くじ。当選した人は苦痛の無い方法で安楽死させられます。この場合も生命を金銭に換算することが出来れば期待値が求まり、確率的に損か得かの判断ができます。もし得だと判断された場合は、この逆宝くじも受け取れば受け取るほど得だと考えられるでしょうか。

お金を払わなくてもいいかわりに、非常に小さくはあるが金額に比例した確率で死亡する可能性があるという社会をテーマにしたSFを読んだ記憶があります。題名とかは忘れてしまいました。遊園地で乗り物に乗ったり、何かを買ったりするときに腕を窓口に差し入れるシーンを覚えています。


非常に小さなリスクでも無視していいとは限らないという話は以前に書きましたが、その他に、そのリスクによって得られるメリットは何かを考える必要があります。例えば狂牛病の可能性のある牛肉を食べることを考える場合に、そのリスクが低いからといって食べるべきだともいえません。例えばリスクが完全に無いとしても牛肉を食べない人もいます。例えば菜食主義者や、宗教上の理由で牛肉を食べない人は、リスクとは関係無く牛肉を食べないでしょう。また、特に牛肉を食べなくてもかまわないという人もいます。どうしても牛肉を食べたければ高い牛肉でも食べるはずです。安い牛肉を求める人は、その値段に見合った価値しか認めていないと考えられるので、比較的簡単に牛肉を買わないという選択をすることが出来るというわけです。別の言い方をすれば、牛肉を買わないという選択のコストが低いというこです。その為、非常に小さなリスクでも買わない選択ができるし、もしコストがゼロと考えればリスクがゼロでも買わない選択は可能です。


何かに対するリスクとメリット、コストをどう考えるかは、その人の立場や考え方によっても違います。実話ではないみたいですが石田三成の逸話にこんなのがあります。処刑を目前にした三成がのどが渇いたと水を所望した時に、水が無かったので柿ではどうかとすすめられたが、柿は痰の毒だからなどと断った。これを、もうすぐ死ぬというのにと笑うものもいたが、三成は大志を抱くものは最後の時まで命を惜しむものだと答えたといいます。

また数年前のイラクの話で、イエローケーキと呼ばれるウラン鉱石の粉末の入った容器が盗まれた事件がありました。これは住民が容器を飲料水などを入れるために盗み、中身はそこらに捨ててしまったといわれています。精製されていない鉱石とはいえウランは放射能を持つし、重金属としての毒性もあります。その容器を飲料水を入れるのにつかうなんてどうかしていると思う人も多いのではないでしょうか。しかし、水が無ければすぐにでも乾き死ぬかもしれないわけです。そんな状態で体に害があるとか、将来ガンになる可能性があるなどど心配するのはばかばかしいという考え方もあります。


以前に書いたもの

安全第一