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「言葉を使わずに考える」ということを考える

「言葉を使わずに考える」ということを考えてみたいと思います。言葉を使ってですが。
まず「言葉を使わないと考えることが出来ない」ということはないと証明します。ただし、「言葉を使わずに考えることができる」ことを証明するのではなく、「言葉を使わないと考えることが出来ない」が正しいとした場合に矛盾がでるという方法を使います。

(1) 生まれたての赤ん坊は言葉を使うことができない。つまり考えることが出来ない。
(2) 考えることが出来ない状態で、言葉を習得することはできない。
(3) (1)(2)より、赤ん坊は言葉を習得することができない。
(4) (3)は現実と矛盾する。


つまり、生まれたての赤ん坊が言葉を使うことが出来ないにもかかわらず、数年のうちに言葉を習得しているという事実から、赤ん坊は何らかの方法で考えているのです。言葉を使わずに。
ヘレン・ケラーの伝記や、それを元にしたドラマで彼女が「水」という言葉を理解するシーンがあります。これは単に水という言葉を覚えたということではなく、言葉が存在することを理解したということです。ただこの場合は、正確には病気の影響で忘れてしまっていたことを思い出し、再理解したということのようです。
赤ん坊が言葉を理解するのはどういう仕組みなのでしょうか。ヘレン・ケラーの再理解の時のような劇的な無から有を生じるような飛躍があるのでしょうか。それとも連続的な変化にすぎないのでしょうか。


赤ん坊について考える前にコンピュータについて考えてみたいと思います。コンピュータなら人間のつくったもの、いや赤ん坊もそうですが、コンピュータの場合は人間が設計したのでその仕組みもある程度わかっているからです。
コンピュータの理解できる言葉というのはプログラミング言語でしょう。Basic、やC、Pascalなど沢山あります。しかし、これらはコンピュータが直接理解しているわけではありません。コンピュータが理解できる言葉は、機械語マシン語と呼ばれる言語です。CPUの種類によって内容は違いますが、マシン語というのがコンピュータの中心であるCPUに対して通じる唯一の言葉です。
ただし、このマシン語はCPUに都合のいいように作ってあるので、人間に都合のいいようなBasic等の高級言語というものが出来ました。
結論をいうと、コンピュータの場合は生まれつき言葉が使えるように設計されているということです。コンピュータが考えることが出来るかどうかはわかりませんが、少なくともプログラムという言葉を使って何らかの処理が出来るのは確かです。


では、人間の赤ん坊はどうでしょう。コンピュータのCPUのようなマシン語に相当するものがあるのでしょうか。何かを見たり、聞いたりという感覚器からの情報を処理したり、泣くなどの行動を起こすことができるので、全く何も無いということはないのではないかと推測できます。少なくとも、コンピュータでいうBIOSのようなものはあって、脳と身体とのインターフェースを行っているのは確かです。
赤ん坊に言葉を教えずに育てたらどうなるかということを考えることもあります。星新一ショートショートでそういう話を読んだこともあります。また昔話か何かで、言葉を教えずに育てた赤ん坊が話すのは神の言葉ではないかという考えからそういう実験をした王様がいて、しかし言葉を全くかけられずに育てられた赤ん坊はうまく育たずに死んでしまったというのを読んだ記憶もあります。こういった実験を、現実に行うわけにはいかないでしょう。
特殊な実験をしないで、観察のみで推測できることとして、赤ん坊は言葉を覚える場合に一対一対応を理解しているということがあります。逆に、一対一対応以外の対応は理解していないのではないかと思われます。つまり言葉を覚え始めの赤ん坊では、言語それ自体と、言語により表現される内容が一対一対応しているということです。

子供のいる夫婦が、お互いを「お父さん」や「お母さん」のように子供から見た呼び方で呼ぶことがあります。これは単なる習慣とも思えますが、そうしないと子供が理解できないからという理由もありそうです。もし名前で呼んでいたら、子供もそれと同じように呼ぶ可能性が高いです。「クレヨンしんちゃん」というマンガの主人公しんのすけは、母親を名前で呼び捨てにしますが、これは父親がそう読んでいるのを真似していると思われます。立場により呼び方が違う場合をうまく理解できない子供をうまく表しています。
ある程度成長すると、一つのものに複数の呼び方があることも理解できます。NHKで放送している「ピタゴラスイッチ」という番組に「ぼくのおとうさん」という歌が出てくるコーナーがあります。内容は、「お父さん」が会社にいくと「課長さん」だったり、お店に行くと「お客さん」だったりと呼び方が変わるというものです。これは大人の立場からみればあたりまえのように思えますが、子供の目からみれば興味深い事柄なのではないでしょうか。


話を「言葉を使わずに考える」ということにもどすと、子供は、言葉を使わずに一対一対応について考えることが出来ているのではないでしょうか。それに言葉を覚えるということは、言葉だけを覚えるというわけでなく言葉が意味している内容を理解する必要があります。言葉を覚える前に、その言葉が意味している内容を理解しているとすれば、これもまた言葉を使わずに考えることの一つと考えられます。

「言葉を使わずに考える」ことは出来ると考えられます。でもどうやって。