Log of ROYGB

はてなダイアリーが廃止されるので、引っ越しました。

右は右

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20061031#1162226930にある「倫理的に正しいことは本当に正しいのか」に関して。

さて、「倫理的に正しいこと」についてです。それは初耳だ、という人もいるかも知れませんが、倫理というのは常に常に正しいんですね。この問いは「三角形の辺の数は本当に3本なのか」と聞くようなもので、順番が逆なのです。実際には、辺が3本ある図形を三角形と呼ぶことに決めたわけです。同じように、社会が「正しい」と決めたルールのことを倫理と呼ぶのです。だから、同一の倫理観が共有されている範囲が同一の社会であり、「倫理的な正しさ」が通用する「箱」のおおきさと、社会のおおきさは、正確に一致します。倫理観が異なるところは、もう別の社会なのです。(おとなりの国のニュースなどを見てると、そう感じませんか?)

実際には、社会もすこしずつ姿を変えていくため、「倫理的な正しさ」が実情に合わなくなってくることもありえます。たとえば「脳死は人の死か?」なんてのがそうですね。でもこういう場合、いままでと違う判断を支持する人がだんだん増えてくると、あるとき、ひょい、と「正しさ」がそちら側に移動してしまいます。社会の中で多くの人が支持するほうが正しくなってしまうんです。こうして、倫理は常にその正しさを維持していく仕組みになっているんですね。


なんというか多くの人が正しいと支持するものがその社会において正しいという定義はトートロジーなんじゃないかと思いました。しかし、他にうまい定義が思いつくかというとそうでもありません。


話はずれますが「左右」の定義も似たようなものがあります。例えば右を定義するのに、南を向いたときの西の方向などとするようなものです。で、西を定義するのに北を向いたときの左側などとするのです。そうするとトートロジー、つまり同語反復です。
西の場合は、太陽が沈む方向などと定義することができますが、これが通用するのは地球上だけです。少なくとも地球という基準がないと意味をなしません。共通の基準を持たない同士で左右を定義する方法は無いのかもしれません。
宇宙人に対しては、たとえばコバルト60のベータ崩壊などを利用して左右を説明できるかもしれません。しかし、これは共通の基準という点では太陽の沈む方角を使うのと変わりません。もっといえば箸を持つ方の手が右手という説明と同じです。


正しさに関しては、左右よりも定義や説明が難しそうです。左右の場合には共通の基準さえあれば、意見の相違は起こりませんが、正しさについては共通の基準についても意見の相違が起こるでしょう。そういう点では、多数の支持する正しさが正しいという定義は優れていると考えられます。この方法なら、宇宙全体での正しさも考えられそうです。宇宙全体の時間の初めから終わりまでの間での多数に支持される正しさが、正しいということです。だから、以下に引用する部分にはうなずけないものがあります。

加えて言うと、「箱」のおおきさを、空間として宇宙全体、時間の初めから終わりまでに拡大した場合、そこには「正しさ」と呼べるものは、もうなにもありません。「正しさ」というものはいつだって「ある条件下での正しさ」でしかなく、「絶対的な正しさ」と言えるものなど、この世界には存在しないんです。しかし、それでもなお、あなたが「世界にはなにかしら絶対的なもの、規範となるべきものが存在しているはずだ」と感じるのなら、あなたが考えているそれの正体はきっと世界を超えているもの、おそらくは神、なんじゃないかと思いますよ。


(追記)
宇宙に自分だけしかいない場合を考えると「正しさ」は存在しないかなとも思いました。「正しい考え」とかはなく「自分の考え」もしくは単なる「考え」になってしまいそうです。でも今の社会で「箱」を自分ひとりのまわりで区切るのは難しいかもしれません。ひとりの「箱」の場合以外でも、外部との接触により影響を受けることは考えられます。そういう点では、全く関連や交渉の無い社会同士を同じ箱に入れることはできないのかもしれません。「箱」を地球全体に広げることはできたとしても、他の星の社会があってそれも一緒の「箱」に入れるためには何らかの共通点や情報の交換がある必要がありそうです。
地球上で考えた場合でも、人間とイルカを同じ「箱」に入れるというのは想像しづらいのではないでしょうか。そういう意味では「箱」の範囲は自由に変えることができるわけではなく、中身によって定まる物なのかもしれません。社会のおおきさが「箱」のおおきさになるというのはリンク先にも書いてあることですが、そうすると宇宙全体、時間の初めから終わりまでに箱をひろげるには共通の社会が必要になります。だから、「箱」を拡大すると「正しさ」がなくなるというよりは、共通の「正しさ」がないので「箱」が存在しないという方が最初の定義に添っている気がします。


「箱」に区切るアナロジーはほかにも使えそうだなとも思いました。例えば「文化圏」のようなものを考えるのに使うと直感的な理解がしやすいかもしれません。


(11月2日さらに追記)
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20061101#1162392048にある「無断リンクはなかった」なんかは「箱」の違いによる「正しさ」の違いのわかりやすい例かもしれません。