Log of ROYGB

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小学生・大学生

http://deztec.jp/design/07/04/06_life.htmlの『「勉強しなさい」といわないで』に関して。

小学生くらいのお子さんの勉強嫌いで悩んでいる方には、何度でもいいたい。「勉強しなさい」なんて、いくらいっても無駄です。塾に送り込んだって、教室にいる間しか勉強しない。ゼロよりはマシだけど、週にたった2〜3時間、勉強させるために**万円って非効率ではありませんか。

「一緒にお勉強しようね」大切なのは、この一言。どう教えたらいいか全然わからない? ならば1ヶ月だけ家庭教師を雇ってみてはどうか。いや、別に親が子どもに勉強を教える必要はありません。勉強している子どものそばについて何かをしているだけで、全然違うのです。

「お父さん、宿題おわったよー」「そうか、よく頑張ったなあ。偉いぞー」頭をなでる。

http://deztec.jp/design/07/04/06_life.html


これはまあ、よい話であるし、実用的な効果も高いと思います。子供は親の言ったことをやるのではなく、親のやることをやるのだというようなことも聞いたことがあります。映画の「耳をすませば」の中の最初の親子の会話で「あー、なんで勉強しなきゃならないいだ。」に対して「自分で選んだんだからしっかりしなさい。」のようなのを思い出しました。最初のセリフが親で、次が子供のだというのが面白いところです。
ただ、リンク先の話とはずれますが、親が子供の勉強を教える場合を考えると、あまりやりすぎると逆効果になったりもしそうです。教育に関する技能を学んでいて、教員免許を持っている教師でさえ、あまり人を教えるのに向いていないと感じる人はいます。誰かを教えるのにあまり向いていない人は教師にもいるのだら、親の中にもいるでしょう。それこそ、子供の前で勉強をしているふりえさえ難しいと感じる人もいるのではないでしょうか。なかなかhttp://deztec.jp/design/07/04/04_education.htmlの『教える理由』や、http://deztec.jp/design/07/03/10_education.htmlの『「腹を割って話す」の思い出』に書かれているようにはいかないものです。それにリンク先の話でさえ、必ずしも成功とは言えないでしょう。しかしまあ、子供が勉強嫌いで、それを何とかしようと子供に努力を強いるのだとしたら、親が努力することもまた必要なのでしょう。
小学生の親を主な対象にして書かれたものを呼んで、すこし前の大学に関する話を連想しました。以下http://deztec.jp/design/07/03/21_service.htmlの『大学はサービスが悪い』より引用。

この違いは、国立大学が顧客を見失っている証左と思われる。なぜか大学では、お金を出す人よりも学生の方を顧客と勘違いする伝統があるようだ。しかし明確にそう思い定めているわけでもない。それは入学時に誰が授業料を払うのか、書類を提出させていることからも明らかだ。つまり大学経営の焦点がブレているのだ。

(略)

小学校で「学級崩壊は生徒の自己責任だ」といって許されるか。ブックオフ社長橋本真由美の「最強の現場の創り方」(日系ビジネスオンライン)にある通り、大人が集まって構成する民間企業だって、適切な管理体制がなければ堕落する。卒業間際のドタバタは、大学が夏休み中の小学校と大差ない学生管理しか行っていない以上、必然だ。

http://deztec.jp/design/07/03/21_service.html


大学生の親の場合でも、小学生の親のようにまず自分でなんとかするという対策もあるのではないかと思いました。何より、金を払って文句を言うだけでは子供の教育上良くないわけです。ただ大学の場合は、親も別に子供に勉強しろとは思っていない場合も多いかもしれません。最終的に卒業できて、就職も決まれば満足なのではないでしょうか。理解が不十分だからと留年させるよりは、いわゆる救済措置で卒業させる方が親のニーズにも一致しているというわけです。
ただし行き過ぎると、http://blog.tatsuru.com/2007/04/05_1347.phpの「博士号売ります (内田樹の研究室)」に書かれているような、金で学位を買えるようなアメリカの大学みたいになってしまうような気もするので、これもまた程度問題なのかもしれません。