Log of ROYGB

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沈む太陽

http://deztec.jp/design/07/04/23_work.htmlの「派遣社員は同僚じゃないのか」に関して。

ところが、件の派遣さんの話題になるや、「派遣なのに、どうして人を代えないのか」いきなりガツンとやられた。「当人の手取りの給与は俺らより少ないかもしれないけど、会社が出しているお金は多いはず」20代の手取り月給は20万円を下回る。総支給額も30万円に満たない。でも派遣さんはずっと給与据え置きだよね?

いやいや、そんなレベルの話じゃない。この衝撃は、新人研修で中国の協力工場(平たくいえば下請工場)の労働条件を説明されたときに近い。

http://deztec.jp/design/07/04/23_work.html


なんとなく山崎豊子の「沈まぬ太陽」を連想しました。実は、最初のほうを少し読んだだけなのですが、アフリカに飛ばされた主人公の回想として組合の委員長かなにかになった時のことが書かれています。まじめで熱心な主人公は、非常に強行な姿勢で会社と対決します。モデルになっているのはJALのようですが、国営企業に近い当時の状況にもかかわらず、ストライキも辞さない交渉を行うことでかなりの要求を通すことができました。その中でわずかに妥協した部分が、正社員でない非正規雇用の整備員などの待遇改善でした。そして、それまでにない成果に満足していた主人公ですが、その成果の恩恵を受けることの無い非正規雇用の従業員の家族からの手紙を読んでショックを受けるわけです。
それからどのくらい後なのかはわかりませんが、主人公がアフリカに飛ばされていた物語の最初の時点では、殆どの社員はあとからできた第二組合に所属しているということのようでした。

中国工場の話で、だいぶ前に書かれていた1日12時間労働、年2回の技能試験に通らない者は解雇といった労働条件が、人間の使い捨てというほど酷いかというと、そうとも限らないのではとも思います。時代をさかのぼれば、日本の工場でも労働条件が今の中国とそんなに変わらなかったこともあったようです。そして、それが資本家による労働者の搾取で女工哀史なのかというと、必ずしもそうでもないという意見もあります。これまた全部をちゃんと読んではいないんですが、「富岡日記」という富岡製糸工場の初期女工として働いた武家の娘、和田(当時は横田)英による、富岡製糸工場の記録があります。


参考リンク:「富岡日記」http://cruel.org/books/tomioka/tomioka.html

以前に書いたもの:「幸福王子」