Log of ROYGB

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奇数

はてなブックマーク経由で読んだhttp://d.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20070731/1185879684の「ネコプロトコル - 「はい二人組み作って〜」という教師を恨んだぼくたちが行き着いた先に」に関して。

あのころのぼくたちは、「はい二人組み作って〜」などと無神経なヒトコトをほざく教師どもを軽く脳内惨殺していたものだけれども、その怒りは自分がクラスレベルでハブられるからなどという矮小な理由からではなかった

http://d.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20070731/1185879684


これを読んで湯川秀樹のエピソードを思い出しました。たしか教科書か何かで読んだ記憶があります。検索して見つけたものから一部を引用します。

 物理学を窮め、晩年には平和運動に取り組んだ湯川の生涯には、いくつかの転機があった。最初の転機が中学1年の時の体験であったと彼は回想している。夏休みに学校から、3週間ほど海水浴の合宿に行ったときのこと。宿泊先の大きな寺の本堂に着いた時、先生は「仲よし同士、二人ずつペアーを作れ」と命じた。夜、蚊帳をつって、その中に一つの布団で二人ずつ寝ることになっていた。そのために各自がパートナーを作っておく必要があったからである。
 ところが周りは相手を決めているのに、湯川だけは誰にも話しかけられず、誰も彼に声をかける者もなかった。不幸にして生徒の数は奇数であったので、湯川一人がとり残されてしまった。この時の何とも言えない悲しい気持ちが、湯川の心の奥に晩年まで消えずに残っていたと言う。
 こういう体験があって、「自分は孤独な人間なのだ」という自己認識を強く持つようになった。もともと内向的な性格であった彼が、さらに急速に内向的傾向を強めていくことになる。しかしこれでへこたれてしまうほど、彼の精神は弱くはない。担任の先生の評価は「内、剛にして、自我強し」というもので、負けん気の人一倍強い少年であった。

http://www.ifsa.jp/kiji-sekai-yukawa.htm