はてなブックマークで紹介されていたhttp://d.hatena.ne.jp/akio71/20070803#p1にある「人望があって善良でカワイイ女の子」に関して。
クラスメイトやサークル仲間は、いじめを「当たり前のこと」と受け止めており、おそらくは被害者も、「いじめではない」と思いこもうとしていた。日常の中、ちょっとしたトゲが、被害者にだけ刺さり続けていた。
(略)
はっきりした原因も、そのいじめが目指す目的も、わからなかった。
目に見えた暴力や、からかい、直接的な攻撃はなかった。
なんとなく、仲間はずれにする。
仲良しグループ内で、被害者の発言をそれとなく全員が否定する。
被害者が、仲直りしようと必死にする努力を「ウザいよね」「やりすぎ」「ありえない」などと無力にする。
ちょっとしたタイミングを、わざとずらす。わざと、連絡を忘れる。
http://d.hatena.ne.jp/akio71/20070803#p1
被害者とされている人が「いじめではない」と思っていることをいじめだと判断するのが興味深いと感じました。いじめの定義は難しいのですが、被害者がいじめだと感じることというのは、まあわりとわかりやすいのではないかと思います。いじめの定義をするのに「いじめ」という言葉を使うのは、トートロジーのような面もあります。これを、本人が嫌がることを強い立場から行うことのように定義すると、勉強嫌いに授業を受けさせることがいじめになってしまうような問題もあります。
本人がいじめだと感じていてもそれが必ずしもいじめでない場合もあるのですが、本人がいじめでないと感じていればそれはいじめではないと判断してもよさそうに思います。
マンガ「美味しんぼ」の主人公の山岡士郎は、父親が母親のことをいじめたと信じて父親を憎んでいました。しかし、後にそれは誤解がもとになっているということがわかってきます。
最近のニュースでいえば、朝青龍の謹慎問題についてはこれを相撲協会によるいじめと感じる人もいるだろうし、正当な処罰だと感じる人もいるだろうでしょう。リンク先の「王国のルール」あたりから連想しました。
リンク先の内容については何ともいえないというか、具体的なことは書かれていないのでそういう点からの判断はできません。“目に見えた暴力や、からかい、直接的な攻撃はなかった。”けれども、確かにいじめがあったのだとするならば、あったことについてもっと詳しく書かれているとわかりやすいかなと思いました。