Log of ROYGB

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V for Virgin

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20081220/1229779785の「子宮に処女膜はない - 一本足の蛸」に関して。

もちろん、性行為と受胎・妊娠の間には密接な関係があるため、処女性に関する議論に子宮は全く無関係ということではないが、「処女厨」の、女性を物にし性器に切り詰める視線の、その中心にあるのは子宮ではなく膣ではないのだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20081220/1229779785


性行為と関係の無い受胎・妊娠というのもあるかもと思いました。人工授精などは科学的な処女受胎とも言えるし、新約聖書には神秘的な処女受胎も登場するからです。
“「処女厨」の、女性を物にし性器に切り詰める視線の、その中心にあるのは子宮ではなく膣ではないのだろうか?”に対する極端な例による疑問として、「科学的にしろ神秘的にしろ処女受胎によって妊娠・出産をした女性は受け入れるのだろうか」というのを思いつきました。膣だけが問題とするならば、妊娠や出産していても大丈夫となるはずです。
ただ、膣に着目した場合でも出産による影響、たとえば処女膜の消失などが発生するので、それを問題視するのであれば帝王切開による出産という条件を付け加えても良いかもしれません。



紹介されていたhttp://d.hatena.ne.jp/Thsc/20081220/p1の「処女厨叩きのフェミ厨が邪知暴虐すぎる - Thsc」に関しても似たような疑問が出てきます。

構造主義が「女性の交換」と喝破して見せた父系社会でさえこの通り、批判が当たらない。日本に至っては元々母系社会でな。そもそもこの論を移入できる素地がない。妻問婚で遺伝子上誰の子かはわからない、妊娠したら父親を指名。折口信夫が後家を処女扱いしている。そういう感覚だったんだよ。何、日本は戦後にいきなり部族社会になり、しかもなぜか突然部族社会の長年の経験に基づく掟を自然発生させ、女性を人権のない贈物として交換し始めたってのか?

ま、民俗学は守備範囲外なのかもしれないが、文化人類学でも処女論争があった。「処女非処女じゃなく未婚かどうかが重要だよ!」で決着した。

http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20081220/p1


結婚していない状態をもって処女とする定義を使用した場合、もしくは未婚であることを重視するという考え方をとるのだとすると、そもそも何の問題も存在しないことになります。これとはかなり違う立場としてもう少しあとに出てくる、“他の男に一回でも惹かれたり付き合ったことが事”を問題にする場合は、単に処女であることだけでなくもっと厳しい条件を求めています。「精神的非処女」という言葉が出てきますが、精神的なものまでも問題にする場合は「精神的処女厨」とでも呼ぶのでしょうか。これは精神的な物だけを求めるというのではなく、通常の肉体的な処女性に加えて精神的な処女性も求めているのでしょう。


肉体的な処女性は求めず精神的な処女性だけを求めるというのも、考え方としてありえなくも無いとしても確認が難しいかも。