Log of ROYGB

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笑う数学者

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/11/post_1496.phpの「MORI LOG ACADEMY ドラマの中の数学者」に関して。

 ドラマの中で数学者がときどき登場する(記憶で比較的新しいのは、古畑任三郎とか<新しいか?)。そういう人間が、数式を書く場面があるのだが、たいてい全然関係のないデタラメなのだ。これは何だろう、つまりTVを観ている人たちは、みんな数式が読めない人なのだろうか? もちろん、ドラマを作っている人たちはみんな文系なのだろう。だから、「数式ならばなんでも良い」「雰囲気が伝われば良い」くらいに考えているのである。しかし、「英語なら良い」「外国だという雰囲気が伝われば良い」とばかりに、外国人の台詞を全部「アップル、バナナ、ショートケーキ、ドラゴンズ」みたいに言わせているのと同じで、英語が少しでもわかる人間が見たら、「これは、ギャグなのか」「もしかして、笑わそうとしているのか」という「超寒い場面」になる。素晴らしい場面が一転、台無しになるのだ。これに類することは、8/11にも書いたので、関心のある方はご参照を。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/11/post_1496.php

8/11に書いたというのはhttp://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/08/post_1330.phpの「MORI LOG ACADEMY 数式のビジュアルイメージ」のことでしょう。
TVドラマにあまりリアリティを求めるのもコストの点で難しいかとも思います。似たようなことでは、コンピュター関連のものでおかしいと感じることも多く、これは映画でもあります。この辺は、時代劇などで斬りあいをしても血が出たり服が切れないのも同じようなコストの問題だろうし、斬りあい自体も専門家が見たらおかしいと感じるのかもしれません。あと何でもリアルにすればいいかというとそんなこともなくて、ドラマの中での爆弾の作り方や鍵の開け方をその通りにやってうまくいったらそれはそれで困ると思います。

数式のビジュアルイメージに関して、風呂敷に数式を書いたものがあるというのを連想しました。ルート−1が図案化された風呂敷をもらった数学者のエッセイで、くれた人も数学者でした。そのデザインには意味があるというのですが…。


前に書いたもの多少関連するかも
異世界の音楽


(12日追記)http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/10/post_1479.phpの「MORI LOG ACADEMY 座右の銘」も少し関係あるかもと思いました。好きな言葉などを書いてくれといわれて困るという前提があって、数式も言葉に含まれると考えると何となくわかった気になります。だから座右の銘の好きな数学者ならば、座右の数式などがあっても不思議は無いということです。
IR=E