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白雪姫

菊池寛訳の白雪姫を読んでみました。昨日も取り上げた「学校では、誰もが15秒だけスターになれる - Ohnoblog 2」のコメント欄で話題になっているからというよりは、青空文庫で読めるものがそうだったというのが大きな理由です。白雪姫自体を読もうと思った点では影響を受けています。

参考リンク
http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/card42308.html 図書カード:白雪姫


読んでみて驚いたのは白雪姫が七つということです。これも上記エントリーのコメント欄に書かれてはいましたが、これだけではありません。七人の小人の家は七つの山を越えた先にあるのです。七つの白雪姫が七つの山を越えて七人の小人の家にたどり着いたというわけです。
「三びきのこぶた」や「三びきのやぎのがらがらどん」のようにタイトルに数字が入っているお話は珍しくないし、七では「おおかみと七ひきのこやぎ」があります。でも白雪姫のように執拗なまでに七という数が登場するのは珍しいのではないでしょうか。それを強く感じた部分を引用します。わかりやすくするために、一部強調してあります。

そのへやのまん中には、ひとつの白い布(きれ)をかけたテーブルがあって、その上には、七つの小さなお皿(さら)があって、またその一つ一つには、さじに、ナイフに、フォークがつけてあって、なおそのほかに、七つの小さなおさかずきがおいてありました。そして、また壁(かべ)ぎわのところには、七つの小さな寝(ね)どこが、すこしあいだをおいて、じゅんじゅんにならんで、その上には、みんな雪のように白い麻(あさ)の敷布(しきふ)がしいてありました。
(略)
けれども、どれもこれもちょうどうまくからだにあいませんでした。長すぎたり、短すぎたりしましたが、いちばんおしまいに、七ばんめの寝どこが、やっとからだにあいました。それで、その寝どこにはいって、神さまにおいのりをして、そのままグッスリねむってしまいました。
 日がくれて、あたりがまっくらになったときに、この小さな家の主人たちがかえってきました。その主人たちというのは、七人の小人(こびと)でありました。この小人たちは、毎日、山の中にはいりこんで、金や銀(ぎん)のはいった石をさがして、よりわけたり、ほりだしたりするのが、しごとでありました。小人(こびと)はじぶんたちの七つのランプに火をつけました。すると、家の中がパッとあかるくなりますと、だれかが、その中にいるということがわかりました。それは、小人たちが家をでかけたときのように、いろいろのものが、ちゃんとおいてなかったからでした。第一の小人が、まず口をひらいて、いいました。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42308_17916.html


七というのは「七つの海」などもあるし、比較的登場しやすい数なのかも知れません。「風の谷のナウシカ」の映画公開前に「風の谷七人衆」というのを募集したことを思い出しました。でもこれはなんで七人衆だったのでしょうか。白雪姫の七人の小人に倣ったわけでもないのでしょうが。
白雪姫とナウシカは、どちらも母親から愛されなかったという点では共通しています。ナウシカの母親は物語の時点ではすでに死亡していて回想でしか登場しませんが。また「ナウシカ」登場するにもう1人の姫であるクシャナは、少なくとも母親にだけは愛されていたのが対照的です。クシャナの代わりに毒杯を飲むシーンも登場します。


話を「白雪姫」に戻すと、「雪のように白く、血(ち)のように赤く、こくたんのように黒い髪(かみ)の毛」というのも何度も何度も登場します。また、菊池寛の訳したものでは毒リンゴを食べた白雪姫はなかなか目をさましませんん。まるで「眠り姫」*1みたいだなと思いました。

さて、白雪姫は、ながいながいあいだ棺(かん)の中によこになっていましたが、そのからだは、すこしもかわらず、まるで眠っているようにしか見えませんでした。お姫さまは、まだ雪のように白く、血(ち)のように赤く、こくたんのように黒い髪(かみ)の毛をしていました。
 すると、そのうち、ある日のこと、ひとりの王子(おうじ)が、森の中にまよいこんで、七人の小人の家にきて、一晩とまりました。王子は、ふと山の上にきて、ガラスの棺に目をとめました。近よってのぞきますと、じつにうつくしいうつくしい少女のからだがはいっています。しばらくわれをわすれて見とれていました王子は、棺の上に金文字で書いてあることばをよみ、すぐ小人たちに、
「この棺(かん)を、わたしにゆずってくれませんか。そのかわりわたしは、なんでも、おまえさんたちのほしいと思うものをやるから。」といわれました。けれども、小人たちは、
「たとえわたしたちは、世界じゅうのお金を、みんないただいても、こればかりはさしあげられません。」とお答えしました。
「そうだ、これにかわるお礼なんぞあるもんじゃあない。だがわたしは、白雪姫を見ないでは、もう生きていられない。お礼なぞしないから、ただください。わたしの生きているあいだは、白雪姫をうやまい、きっとそまつにはしないから。」王子(おうじ)はおりいっておたのみになりました。
 王子が、こんなにまでおっしゃるので、気だてのよい小人たちは、王子の心もちを、気のどくに思って、その棺をさしあげることにしました。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42308_17916.html


青空文庫にある「杜松の樹」というグリムの話にも「血(ち)のように赤(あか)く、雪(ゆき)のように白(しろ)い小児(こども)」というのが出てきます。雪に血が落ちるのも共通です。そういえば白雪姫が自分を殺そうとする継母を家に入れてしまう部分は「おおかみと七ひきのこやぎ」と似ているようにも思えます。

*1:もしくは「茨姫」