Log of ROYGB

はてなダイアリーが廃止されるので、引っ越しました。

平等な負担

はてな匿名ダイアリーの「とある夫婦の離婚序章(http://anond.hatelabo.jp/20090112230518)」に関して。といってもメインの話題にはあまり立ち入りません。夫婦の問題というのは、最終的には夫婦で解決すべきものだし、エントリーを読んだ限りでは問題解決の方法というよりはいかにして問題を解決するという方向に向かうことができるかとういことが大きな問題のような気がしたからです。

立ち入るのは、この部分。

「私達は共働きだから、育児も家事も仕事も半分負担。

あなたはその義務を果たしていない。」

http://anond.hatelabo.jp/20090112230518


共働きで、他の記述によれば収入もほぼ等しいようなので、育児や家事の分担も等しく行うべきという意見はある意味平等な気もします。
この考え方のバリエーションとして、収入の少ない方がより多くの家事を行うべきというものもあります。


こういった考え方にはあまり賛同できません。


例えば、同じ収入があって家事も同じように分担していた夫婦の片方が病気になったときのことを想像します。病気のせいで仕事をやめた場合に、収入がなくなったのだからそのかわりに家事を全て分担すべきとなるのでしょうか。
http://blog.tatsuru.com/2008/05/14_1049.phpの「週末婚? (内田樹の研究室)」に書かれたいた話があります。

例えば、週末婚配偶者の一方が病気になったり、失職した場合に、他方の配偶者はこれにどう対応するのであろう。
「自分のペースを邪魔されたくない」から離れて結婚している人びとに、配偶者の看病をしたり、生活の面倒を見たりすることによって生じる「自分のペースの乱れ」は受容可能なのであろうか。
論理的には困難であろう。
ということは、週末婚は「強者カップル」においては可能だが、一方の配偶者が弱者になれば破綻の危機に瀕するということである。
私はいま「破綻の危機」というようなあいまいな言い方をしたけれど、実情は「弱者の切り捨て」ということである。
昔、あるインディペンデントな夫婦を知っていた。
夫婦それぞれ仕事を持ち、相当な年収を得て、お互いを束縛せずに、異性関係を含めてかなり自由に活動していた。
そういうのもありなのかしらと私は眺めていた。
その妻があるとき病気になった。
脳内出血で意識を失ったのである。
しばらく植物人間状態が続いたあと、夫は妻を実家に送り返した。

http://blog.tatsuru.com/2008/05/14_1049.php


これは週末婚の夫婦の話ですが、平等な負担といったことを信奉する夫婦の場合もこれと似たようなことになるのではと創造します。夫の定年に伴う熟年離婚というのも、類似の現象のようにも思います。定収が無くなった者との結婚を続ける勝ちが無いという判断によるものであるのならば、それは収入があることに価値があるということの別の表現にすぎません。

平等な負担という考え方をする場合には、平等でなくなった場合にどうすべきかということも考えておいたほうが良いように思います。