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サマリア人

サマリア人というと聖書*1の「善きサマリア人」の話が有名です。ルカによる福音書の第10章に書かれています。

10:29 しかし彼は、自分の義を立てたくて、イエスに言った、「それでは、わたしの隣人とはだれでしょう?」
10:30 イエスはこの質問を取り上げて言われた、「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行った.すると、彼は強盗どもの手に陥った.彼らは彼の衣服をはぎ取り、彼を打ちたたいて、半殺しにしたまま立ち去った。
10:31 たまたま、ある祭司がその道を下って来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。
10:32 同じようにあるレビ人も、その場所に来たが、彼を見ると向こう側を通って行った。
10:33 ところが、旅をしていたある1サマリヤ人が、彼の所に来た.そして彼を見ると、深くあわれみ、
10:34 近づいて来て、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をした。そして自分の家畜に乗せて、宿屋に運び、彼の世話をした。
10:35 翌日、彼は1デナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った、『彼の世話をしてください.どんなに余計にかかっても、わたしが戻った時に払います』。
10:36 これら三人のうち、だれが強盗の手に陥った者の隣人になったと思うか?」

http://www.recoveryversion.jp/read_List.php?f_BookNo=42&f_ChapterNo=10&f_VerseNo=33#33


これがあまりにも有名なため、サマリア人のイメージがこの話だけによって決まっているように思います。
聖書には、他にもサマリア人が出てくるものがあります。

マタイによる福音書の第10章の話を紹介します。

10:5 イエスはこの十二人を遣わし、彼らに命じて言われた、「異邦人の道へ行ってはならない.またサマリア人のどの町にも入ってはならない。

http://www.recoveryversion.jp/read_List.php?f_BookNo=40&f_ChapterNo=10&f_VerseNo=5#5


エスは弟子にサマリア人の町へはいってはならないと言っています。この理由としては、無用なトラブルを避けるためではないだろうかなどと推測されているようですが。

次に「善きサマリア人」と同じルカの福音書の第9章から。ここでは、イエスと弟子たちがサマリア人の村を訪れています。

9:51 イエスは、ご自分の上げられる日が満ちてきたので、エルサレムへ行こうとして、御顔を真っすぐ向けられた。
9:52 そして彼はご自分の前に、使いの者を遣わされた。彼らは行って、彼のために準備をしようと、サマリヤ人の村へ入った。
9:53 ところが、そこの人たちはイエスを受け入れなかった.それは、彼の御顔が、エルサレムへ行こうと、目指していたからである。
9:54 これを見て、弟子のヤコブヨハネが言った、「主よ、天から火を下して、彼らを焼き尽くすように命じましょうか?」
9:55 イエスは振り向いて彼らをしかり、そして言われた、「あなたがたは自分がどのような霊であるか、わかっていない。
9:56 人の子が来たのは、人の命を滅ぼすためではなく、救うためである」。そして、彼らは別の村へ行った。


この第9章のすぐあとに、第10章の「善きサマリア人」の話が続くわけです。続けて読むことによって、サマリア人に対する印象が変わってくるのではないでしょうか。


サマリア人が、当時どのような状況にあった人たちであったかはウィキペディアの説明を引用します。

サマリアは北の王国、イスラエルの首都であったが、アッシリアサルゴン2世の攻撃により紀元前721年に陥落。住民は捕囚の民となり指導的地位にあった高位者は強制移民により他の土地に移され[1] 、サマリアにはアッシリアからの移民が移り住んだ。このときイスラエル王国の故地に残ったイスラエル人と、移民との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれた。

彼等はユダヤ人にイスラエル人の血を穢した者といわれ迫害を受けていた。また、捕囚から後、アッシリアの宗教とユダヤ教が混同したものを信じ、ユダヤ教に対抗して特別な教派を形成していたため、ユダヤ人はサマリア人を正統信仰から外れた者達とみなし、交わりを嫌っていた。

サマリア人 - Wikipedia


このあとに、上で引用したルカ伝第9章の話も紹介されています。
ユダヤからしてみると、サマリア人というのが親しい存在ではなかったことは明らかです。そういう状況下であることを背景として理解して、「善きサマリア人」の話を読むことが必要なのではないでしょうか。

といったことを前に読んだ記憶があったのですが、誰の書いたものだかは忘れていました。これもウィキペディアに書いてあるのを見て思い出しました。

マーティン・ガードナーとマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、共にこの逸話を人種差別否定の思想として紹介している。

ガードナーは『奇妙な論理〈1〉—だまされやすさの研究』早川書房、ISBN 4150502722で「イエスが愛されるべき真の「隣人」の例としてサマリア人を選んだのは、古代エルサレムではサマリア人は軽蔑された少数民族だったからだということを、悟る人はほとんどいない」(136頁)と指摘。(原著はアメリカ合衆国で出版されたものなので、その読者に対し)「「サマリア人」のかわりに「黒人」をおいたときはじめて、あなたはこのたとえ話の意味を、当時キリストのことばをきいた人々が理解したとおりに、理解するはずである」(前掲、同)と主張した。

サマリア人 - Wikipedia


これは人種差別に関する章の終わりのほうで述べられていることです。