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「99.9%は仮説」の仮説

「99.9%は仮説」という本に関する否定的な感想です。


科学が仮説から成り立っているということについては賛同できますが、その説明に疑問な点がいくつかあります。
たとえ結論が良くても、過程が駄目ならば、良いはずの結論までも疑わしく感じてしまいます。例えば、「美しい言葉を使おう」という言葉に賛同できたとして、その理由が「美しい言葉を聴いた水は美しい結晶をつくるから」だったらどうでしょうか。
極端な例をあげましたが、この本を読んで感じたのはそれに似たようなものです。

実は、科学はぜんぜん万能ではないのです。(15ページ)

誰か、科学が万能だとでも言ったのでしょうか。

例? 絶対に潰れないと思われていた山一證券があっという間に潰れた
例? だれもが安全だと考えていた東南アジアのリゾートが津波によって崩壊した
例? 検査機関のお墨付きを得ていたマンションの耐震強度が著しく不足していた

(34ページ)

科学の定説の否定するための説明の中に、科学でないことの例が入っていることにも違和感があります。まあ、わかりやすくする為の説明として理解できなくもないですが、それなら過去にも一度潰れかけたことのあった山一證券の例はあまり適当でないと思います。


いちばん疑問に感じたのは第1章に書かれている天動説と地動説についてです。プトレマイオス、ティコ・ブラーエ、コペルニクスケプラーの説を紹介しているのはいいとして、なぜ地動説が正しいのかについて何も書かれていません。せめて年周視差に関しては書いて欲しいというか、説明も無しに、単に正しいと書いてあるから正しいというのはどうかと思います。

視差というのは、例えば目の前に指を一本伸ばして、それを右目で見た時と左目で見た時に位置が変わって見える現象のこと。視点の位置と視差の大きさで、その物体までの距離を計算することができます。地球が太陽を回っているとしたら、地球の位置が変わることによって恒星の位置も変わって見えるはずです。一年で一回りするのだから、半年はなれた時点で観察すると視差は最大になります。これが年周視差。
年周視差の角度が1秒になるときの地球からの距離が1パーセクで、別の単位でいうと約3.26光年、もしくは約30兆8600億km。比較的近くにある恒星は、年周視差を使うことで距離を測定することができます。太陽から一番近い恒星はアルファケンタウリで、約4.3光年つまり約1.3パーセクです。一番近い恒星でも1パーセクよりも遠くにあるということは、1秒よりも小さな年周視差を観測することが、恒星までの距離の測定に必要だということ。ちなみに角度の1秒というのは、1度の3600分の1です。
そこで、年周視差が無かったとしたらどうでしょう。精度の問題で観測できないという理由も考えられますが、地球が動いているという仮定が間違っていると考えることもできます。地球が動いていなければ視差も存在しないからです。ティコ・ブラーエが、地球が動かないで太陽が地球を周回し、他の惑星は太陽を周回するという天動説と地動説の折衷案のような説を唱えたのにはその当時としては正当な理由があるのです。
逆に、根拠も無いのに地球が動くと信じていたとしたらその方がおかしな話です。コペルニクスは地動説をとなえましたが、必ずしも地球が動くと言っていたわけではなく、惑星の動きを計算する数学的な方法として説明していたとする説もあります。
年周視差以外で、金星が月のように満ち欠けして見える現象も天動説を裏付けるものとしてあります。これは金星が太陽をまわっているということが満ち欠けの理由として考えられるからで、プトレマイオス説の反証としてはいくらか有効でも、ティコ・ブラーエの説では問題ありません。どこに基準を置くかという問題として考えると、太陽を基準とした座標系と地球を基準した座標系はどちらも同じように成り立ちます。この本の後のほうでも、座標系の違いによって同じものが一見違って見えることについて書いてあります。それなのに、何の根拠も無く地動説のみが正しいように書いてあるのは不思議なはなしです。

ケプラーで終わらせずに、ニュートンについても書けば、万有引力の法則にしたがって2つの物体が、どちらかがもう一方を回るのではなく、共通の重心を周回するという説明が出来ます。また万有引力の法則は2つの物体に関しての法則で、3つ以上になると近似としてしか計算できないとか、アインシュタイン相対性理論によれば、楕円軌道というのも近似にすぎないということまで書いてあれば、科学は「仮説」の積み重ねだということに対する良い説明になったと思います。


第2章でのエーテルに関しても、物足りないものを感じました。光を伝える媒質としてのエーテルを観測することが出来なかったのはその通りですが、それがエーテルが存在しない証明になるわけではありません。確かに相対性理論は、特別な性質を与えられた“絶対静止空間”を不要として、光を伝えるエーテルを物理学に持ち込む必要がないとしています。
しかし、それでは光などの電磁波がどうして伝わるのかについてはよくわかっていません。同じ著者が、「「場」とはなんだろう―なにもないのに波が伝わる不思議 (ブルーバックス)」という本も書いているので、そういった切り口も期待していました。
また、天動説と地動説におけるティコ・ブラーエの折衷案のように、エーテルに対する運動によってすべての物質が縮むと考えれば矛盾が出ないというローレンツの説もあります。ローレンツ短縮というもので、それを発展させたローレンツ変換は、計算方法としては相対性理論の物と同じです。アインシュタイン相対性理論の説明に、ローレンツ変換が出てくるのはそういうわけです。

相対性理論については、有名なE=mc^2という式についてこんなことも書かれていました。

この式がなければ、原子爆弾は落ちなかったんです。(222ページ)

飛行機は、理屈がわからなくても飛ぶんじゃなかったでしたっけ。


こんな感じで、気にしだすときりがありません。科学と関係ない部分まで気になってしまいます。

わたしが中学生のとき、となりのクラスに不良のいじめっこ(R君)がいて、いつも敵対関係にありました。(228ページ)

少しあとで、お互いに根拠のない仮設を抱いて誤解していたと書かれています。でもあとになって書かれた文章でも「不良のいじめっこ」となっているのだから、誤解はたいして解消しなかったんだろうなと思ってしまいます。



99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

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相対性理論 (岩波文庫)

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