Log of ROYGB

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作文コンテスト

http://sankei.jp.msn.com/world/america/071230/amr0712301812002-n1.htmの『「パパはイラクで死にました」 米の6歳少女、アイドル見たさ作文捏造 - MSN産経ニュース』に関して。

テキサス州ダラス近郊に住む6歳の少女が、作文コンテストの応募作で「パパはイラクで死にました」とつづり、入賞した。ところが、国防総省の戦死公報に該当する米兵がいないことから主催者が確認したところ、懸賞だった人気アイドルのコンサートへの招待旅行ほしさに母子で悲話をでっちあげたことが分かった。AP通信が伝えた。

 作文は、イラクに派遣された「ジョナサン・メンジバー軍曹」という名の父が4月17日に路肩爆弾で死亡したとの内容。しかし、同日の戦死公報にこの名はなく、架空の名前で悲話を作ったことが判明した。

 ダラスのテレビ局KDFWの取材に対して、少女の母親は捏造(ねつぞう)を認めたうえで、「勝つためならなんだってやるわ」と言い放っている。主催者は懸賞の取り消しを検討しているという。(ワシントン 山本秀也

http://sankei.jp.msn.com/world/america/071230/amr0712301812002-n1.htm


このニュースを読んで連想したのが、http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080105/p2の「小学校2年生の作文に泣かせられたよ。 - Something Orange」
で取り上げられている作文です。書いたのも同じくらいの年の子供で、書いたものが高い評価を受けているという共通点があります。アメリカの女の子の作文は捏造だからなと、否定的に感じる人も多いと思います。でも、日本の子供の書いた作文が題材としている「セロひきのゴーシュ」も実話ではありません。お話なんだからあたりまえで、「セロひきのゴーシュ」を捏造だと非難する人などいないでしょう。
そうすると「セロひきのゴーシュ」という実話ではないものを題材として書かれた日本の作文と、やはり実話ではない「イラクでの父親の死」を題材としたアメリカの作文の違いはなんだろうといったことを考えました。読んだ人が創作だと知っているか実話だと誤認しているかといった違いはあるでしょう。実話に見せかけた創作というのは嫌われる傾向があります。これは実話に対する過剰な思い入れに対する反動ではないでしょうか。

アメリカの少女の母親の“勝つためならなんだってやるわ”という言葉はどうかとはおもうのですが、皮肉な見方をすると最近のアメリカの行動を重ねることもできるかも。もっと言えばイラク戦争に関連する行動と関連付けると、さらに皮肉が利くかもしれません。
別の見方として、母ひとり子ひとりかどうかはわからないとしても少なくとも父親のいない家庭は何かと大変だろうなとも思いました。「パパはイラクで死にました」という作文を書いているのだから、父親といっしょに暮らしていないのはまず確実だし、おそらくは定期的に会ったりもしていないと推測できます。可能性としてはシングルマザーか死別、もしくは離婚して音信不通といったところでしょうか。それから、懸賞にたよらずともアイドルのコンサートの為に旅行ができるほどの恵まれた経済状況でもないのではないかとも思います。「アイドルのコンサートに行きたい。」と子供が言ってきたら、そんなことは無理だとあきらめさせればよかったのでしょうか。


作文コンテストの出てくる「この森で、天使はバスを降りた」という映画も思い出しました。アメリカの小さな寂れた町を舞台にしていて、そこにある食堂を懸賞にして作文コンテストが行われます。開催したのは個人ですが、しだいに町の人たちもかかわっていくことになります。戦争の話も少しでてきました。ベトナム戦争ですが。



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