Log of ROYGB

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「聖書」を信じないでください

はてなブックマークの最近の人気記事で紹介されていたhttp://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/にある『「水からの伝言」を信じないでください 』に関して、どちらかというと批判的立場から書いてみます。

まず、『「水からの伝言」を信じないでください 』というタイトル自体が、何ともニセ科学風に感じられてしまいます。『「水からの伝言」は間違っている 』とかではなくてまだよかったと言えば、ある種のうさんくささというか、いわゆる「とんでも」のような感じがわかりやすいでしょうか。「○○は間違っている」というような題名の文章は、その題名だけであやしいものだと判断してもいいと思います。「○○を信じないでください」という題名の場合も、あやしさは似たようなものだと感じます。

道徳の授業につかうなら、事実でなくても、かまわないのでは?
もちろん、イソップ童話など、事実ではない「お話」を道徳の授業で使うのはふつうのことです。しかし、そういうときには、それが「お話」だということは、先生にも生徒にも、よくわかっています。
ところが、「水からの伝言」のばあいには、実験でみつかった事実として紹介されているのです。そもそも、「これは、ただのお話です」と言ってしまったら、「水からの伝言」をつかった授業はうまくいかないと思います。生徒といっしょに道徳について考えるために、本当でない話を本当だと言ってしまうというのは、とても困ったことではないでしょうか?

http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/#4より引用)


事実として紹介されているが事実ではないことに関して
ワシントンの伝記などはどうでしょう。アメリカの初代大統領になったジョージ・ワシントンの子供の頃のエピソードで有名なものにこんなものがあります。桜の木を切ったワシントンは、それを正直に父親に話したというのです。嘘をつかないで正直に話すのは大切なことです。道徳の授業にも使えそうです。
ただ、この有名な話は伝記作家の創作です。つまり嘘なんです。嘘をつかないで正直に話すのが大切だという話が、なんと嘘なわけです。
科学者の逸話でもアイザック・ニュートン万有引力を思いついたのはリンゴが落ちるのを見たからだというのはどうも本当ではないようです。リンゴが落ちるのをみたあとに月を見て、リンゴは落ちるのになぜ月は落ちないのだろうと考えたというようなもっともらしいものもありますが、はっきりとした根拠はありません。何かが事実かどうかということは、それほど確実にはわからないものです。
「聖書」なんかはどうでしょう。科学的な目でみるとおかしな部分が随分ありそうですが、「聖書を信じないでください」という文章を書くべきでしょうか。聖書に関連して、ヴェリコフスキー作「衝突する宇宙」という本も思いつきます。これは随分批判されたようです。
「衝突する宇宙」をもとにしたJ・P・ホーガンの「揺籃の星」というSFがそんなに批判されないのは「お話」だからでしょうか。聖書自体もあまり批判されないのはなぜでしょう。「お話」だからでしょうか。他の宗教の経典でも同じことが言えまが、イスラム教について書くのはちょっと怖いのでやめておきます。「悪魔の詩」の事件はだいぶ前ですが、犯人は捕まっていません。
仏教の仏典でも「お話」のようなこともありますし、必要ならば嘘をつくことも方便として認めています。わかりやすい説明のために、事実ではない例え話を使うことはよくあります。そういえば、例え話ならば聖書にも沢山出てきます。


事実でなくても「お話」ならばかまわないということに関して
「お話」であれば問題無いのだとしたら、「水からの伝言」の主張をお話だとしたら問題無いのでしょうか。例えば、イソップ童話のように動物を登場人物にして、よい言葉をつかうことで水がきれいな結晶になるという話を書いたとしたら、それは道徳の授業にふさわしくなるのでしょうか。


人の心は、すばらしい力をもっています。ほかの人たちを思いやる心、愛と感謝の心は、とても大切です。しかし、それと「水が言葉の影響をうける」という「お話」には、なんの関係もありません。

私たちは、学校の授業など、教育の場に「水からの伝言」をもちこむのは、絶対によくないことだと考えています
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/より引用)


ほかの人たちを思いやる心や愛と感謝の心と「水が言葉の影響をうける」という「お話」になんの関係も無いのと同様、科学も関係無いように思います。感謝の心が大切だということに、科学的な根拠はまったくありません。科学によって道徳上の良い悪いということを判断することもできません。
実は、教育の場に「水からの伝言」をもちこむのが良くないという意見には賛成なのですが、それは自分の信じるあるべき姿を基準にした道徳的な判断によるものだと言えます。



(13日:同じものが2つ書かれていたのを1つに修正しました。)