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援助

http://www.sankei.co.jp/seikatsu/seikatsu/070315/skt070315000.htmの「【溶けゆく日本人】既婚なのに小遣い|生活|生活・健康|Sankei WEB」に関して。

だが、ゆとりの“レベル”にかかわらず、「既婚の子供」への親の援助は、そのことに違和感を抱くこともなく、もはや“愛情表現”として広がっている。実家へ帰省する若夫婦の車代を全額負担する親の姿も、それを当然のごとく手にする子供の姿も、今では、親子の絆(きずな)を示す美しい光景のように描かれようとしている。

http://www.sankei.co.jp/seikatsu/seikatsu/070315/skt070315000.htm


記事としては、こういった現象をどちらかというと否定的にえがいているようです。その意見にはおおむね同感なのですが、なぜそう思うかについて考えてみると、単なる固定概念にすぎないのかもしれません。
たとえば親と子が逆で、働くようになった子供が親に小遣いを渡すとか、仕送りをするというのは美しい光景のように感じます。いい年をしてなさけないとは思わないのです。
もうすこし一般化して似たような例を考えると、生活保護や障害者年金のような形で生活の援助をうけることはどうでしょうか。国と国との関係でも援助を行う場合はあります。そうすると、援助が悪いことともいえないのではないかと思います。以下に引用した文も、それ自体はうなずけるのですが、親と子をいれかえたり、別の物を当てはめたりして検証するとそうではないと思う場合もあります。その違いはどこからくるのだろうということを考えてみましたが、よくわかりません。

ただ残念ながら、「懸命に援助しても、子供は感謝せず、当然と思っているケースが実に多い」と畠中さん。「与えること」が必ずしも親の愛情であるとは限らない。信田さんはいう。「子供を助けたくても助けない勇気−。それが親には求められていると私は思います」

http://www.sankei.co.jp/seikatsu/seikatsu/070315/skt070315000.htm