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ダブルスタンダード

ダブルスタンダードという言葉は、どちらかというと否定的に使われることが多いようです。しかし、違うものに対して違う基準を使うことは別におかしくはありません。同じことに対して別の基準を使うことがおかしいというのならば納得がいきます。つまり、非難の目的でダブルスタンダードであるとする主張の背後には、違った扱いをされているものを同じにみなすという考えがあることが推測されます。もう一つ、その違った対応を不満に思っているということもあるでしょうが、これはあえて説明する程でもないでしょう。

逆に、ダブルスタンダードという言葉を肯定的に使っている場合は、同じように見えてもそれは違うものだという前提があるようです。だいぶ前に読んだ本で、大人と子供のダブルスタンダードについて書いてありました。小さな子供は何でも大人の真似をしたがりますが、必ずしも大人と子供は同じではないということを教える必要もあるというものです。その方法として晩御飯に寿司の出前を取るというのが面白かったので覚えています。大人と子供が別だということを教えるのに、大人は握りで子供はチラシにするといったことをするのではなく、あえてみんな同じに握りを頼むのです。その時にワサビをきかせるようにすると効果的なようです。つまり、一般的に子供はワサビなどの刺激物がダメで食べられないことが多いことを利用するわけです。その子供が食べられない握りを大人がおいしそうに食べることで、大人と子供の違いを実感させることができるというものです。しかし、大人でもワサビが苦手な人はいますが、その場合は困りそうです。

人間関係でもダブルスタンダードどころか、もっと沢山の基準を使い分けることは珍しくありません。知らない人と知っている人、職場の同僚、友人、恋人などに全く同じように接するという人はいないでしょう。まあまったく違う関係の場合は、違った対応も不思議ではないのでしょうが、同じ友人でも対応に違いはあるのではないでしょうか。それを同じ友人であるという点をとらえてダブルスタンダードとして非難することも出来るし、違いに注目して正当化することも出来るでしょう。

ダブルスタンダード」という言葉は和製英語のようですが、それを日本語に翻訳したかような「二重基準」という言葉もあるのも不思議というか面白いところです。場合によってダブルスタンダードという言葉を使ったり、二重基準という言葉を使ったりするのはダブルスタンダードなのでしょうか。