Log of ROYGB

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お金の価値、本の価値


http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/post_1137.phpの「MORI LOG ACADEMY 不完全なお札」に関して。

お札が破れてしまったり、燃えてしまったりして、一部だけになったとき、それを銀行へ持っていくと、新しいお札と取り替えてくれる。僕の母が、100万円をオーブンで焼いたことがあるので、よく知っている。
 2/3以上の面積が残っていれば、完全なお札と取り替えてもらえる。つまり、1万円札なら、1万円がそっくり戻ってくる。また、2/5以上があれば、半額が戻ってくる。つまり、1万円札が、2/5以上2/3未満の範囲だけ残っていれば、それは5千円の価値がある。2/5未満であれば、価値がないことになっている。

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紙に線が何本か引いてあり、それを2つに切ってずらすことで線の本数が増えたり減ったりするというパズルを思い出しました。線ではなくて、人が増減するだまし絵のようなものもあります。
なぜこれを思い出したかというと、これと同じ原理をつかった変造紙幣事件が昔にあったからです。紙に描いてある線を増やすのと同じ方法で、実際のお札を増やすわけです。最初にこの事件を知ったときに、どうしてお金が増えるのかがわかりませんでした。よくよく考えると、変造後の紙幣には銀行に持っていけば新しいお札に変えてもらえる物がほとんどがが、その中に5千円にしか変えてもらえない物も混ざることが理解できました。また、これにより銀行でお札を交換してくれる場合のルールの意味も理解できました。

金貨が使われていた時代には、縁の部分を少し削って金を手に入れるなんて犯罪もあったようです。そういったことが行われにくくするためにコインの縁にギザギザをつけたというのを聞いたことがあります。江戸時代などに、それまで使われていた小判を回収して、新しく金の量が少ない物を作ることで貨幣の流通を増やしたのは政府による貨幣の変造といえるかもしれません。
金貨や銀貨などではなく、紙に印刷された紙幣が流通する現代では、お金はそれ自体に価値があるというよりは国による価値の保障というコンテンツに意味があるように思います。

そういった視点からhttp://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/post_1142.phpの「MORI LOG ACADEMY 中古品の著作権」を読んで考えたこと。それは、本の価値がコンテンツにあるとするならば、古い本を新しい本に交換するというサービスを行ってもいいのではないかということです。さらに、3分の2以上残っていれば新しいものに変えてもらえるとか、燃えてしまっても形が残っていれば大丈夫というようなことも、コンテンツに価値があるいう考え方からすればそれほど変ではありません。もちろん、本という形に価値を感じてもいけないわけではないのは、古いお金をコレクションするのに問題ないのと同じことです。
バスカードのようなプリペイドカードも、コンテンツに価値があるという点では同じでしょう。何らかの理由で磁気データが読めなくなったら新しいものに交換してもらえます。記名式PASMOのようなICカードでは、紛失した場合にも再発行が出来るようです。これはそれまでの磁気カードや現金から比べると大変な進歩です。

(追記)落語で、鰻屋の前を匂いを嗅ぎながら通ったら金を払えと言われた話がありました。それに対する支払いの方法で落ちがついてきます。しかし、これが鰻屋でなくて香水屋であったとしたら匂いはその本質なので、それなりの支払いをする必要があるかもしれません。見るだけでお金を払わないといけないものは映画や演劇、美術館などなど。寄席に行くのは落語を聞くためです。鰻屋に話をもどすと、美味しくないなどで満足しなかったとしても、鰻を食べたのなら支払いの必要はあるかも。