Log of ROYGB

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コンテンツの時代

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/08/post_1317.phpの「MORI LOG ACADEMY LPの時代」に関して。

 この頃は、CDも買っている。CDジャケットの表紙はとても重要なアイコンである。その作品を代表するマークだと思う。だから、ネット配信も、画像(今は動画かな)データがセットになったら、LPと同じになるかな、と。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/08/post_1317.php


書かれている内容はまあ普通の意見で、これに賛同する人も多いのではと思うのですが、同じ書き手が本に関しては革新的な意見を持っているというのを念頭に置いて読むと面白いです。
本に関する革新的な意見というのは「打合せ多数&補足」に書かれているようなもののことです。

 ところで、僕のファンの方はご存じだろう、10年もまえから書いていることだが、僕は1度読んだ小説はほとんどすべて捨てている。だから本棚がない。お菓子も中身を食べたら箱は捨てる。箱を並べておく習慣は僕にはない。お菓子を食べて、箱を捨てたら、それはお菓子を作った人に失礼だろうか?

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/post_1159.php


本とCDというのは違うものなので、それぞれに対して異なった意見を持つことはおかしくはないのですが、その意見の背後にある考え方をあれこれ想像してしまいます。CDのジャケットが大切なら、本のジャケットいわゆる表紙も大事なのではとか、CDとLPのサイズの違いと、文庫本と単行本のサイズの違いについてなどなど。(10日追記)本を読む順番は気にしないのに、曲の順番は気にするという違いも興味深いかなと思いました。(追記ここまで)
CDについても、お菓子の箱を捨てるようにケースを捨ててしまう人も中にはいるようです。http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/suzuki/57/02.shtmlの「オリジナルのCDをごみ箱に捨てる若者」に書かれているものから引用します。

 僕の世代というのは、微妙に歌詞カードやCDのジャケットにこだわる世代なのだが、実は僕の場合はそれも捨ててしまう。CDを買ったときについているオビ(帯)などもきちんと保管しておけば、いつかオークションに出したり、中古屋に売りに行くときに高く売れるのかもしれないが、僕の場合はまずそんなことはしないので付属品一式は気にしないで捨ててしまうわけだ。

http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/suzuki/57/


さらに、CD自体も捨ててしまう人すら存在します。これはにはかなり驚かされました。

 実際にゴミ箱の中を見せてもらうと、昼休みに買ってきた音楽CDがそのまま捨ててある。「もうiPodにインストールしちゃったので、オリジナルはいらないんですよ」というのが彼の説明だった。彼の考え方は、僕の古い“クール”な考え方よりも、よほど進んでいる。それはこういうことだ。

 彼がお金を出して買っているのは、あくまで音楽コンテンツであって、ジャケットやCDケースではない。だから、ジャケットやCDケースはいらない(不要である)──。ここまでは僕の考え方と同じだ。

 ところが彼の場合、オリジナルのCD本体でさえも、あくまで“中間媒体”に過ぎない。アーティストがスタジオで録音した作品が、編集の手を経て、音楽CDの形で彼に届いただけだ。それをパソコンにインストールした段階で、オリジナルのCD本体の役割は終わる。

http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/suzuki/57/02.shtml