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哲学的ゴースト

哲学的ゾンビというのは、いわゆるクオリアを持たない存在、もしくは主観というか現象的意識を持たない存在を仮定したもののことのようです。ある人の行動を厳密にシミュレートすることができれば、考えたり思ったりする心がなくてもその人と同じように話したり行動することは可能でしょう。
ただ、シミュレーションには心が存在しないかというとそれはわかりません。また物理的な存在と全くかかわりなくクオリアといったものがあるのかどうかもわかっていません。


哲学的ゾンビと逆に、クオリアだけもしくは主観だけという存在は考えられないでしょうか。哲学的ゾンビと人間との違いは主観的意識の有無ですが、人間から哲学的ゾンビを引いた差である主観的意識だけの存在です。それは、感覚器官や動かす身体は無いので、物をを見たりすることは出来ませんが、見たときに感じる何かを感じることができるのでしょう。それに哲学的ゾンビのように名前をつけるとしたら、哲学的魂や哲学的幽霊もしくは哲学的ゴーストといったところでしょうか。

世界五分前創造仮説というのがあって、これはたとえ世界が5分前に存在を始めたと仮定しても矛盾は存在しないというもの。その場合、5分よりも前の記憶や化石や建造物などすべては5分前に存在を始めた時点で作られた偽の記憶であり偽の記録ということになります。同じような仮説で、世界というのは架空のもので身体に直接信号が伝えられてそれを感じている映画マトリックスのようなものであるとか、身体もなくて脳がカプセルに入っているとしても矛盾はでません。
それと同じように、信号というか信号によって感じる何かを哲学的ゴーストに与えれば他には何もないとしても区別ができないのではないのかもなんてことを考えました。哲学的ゴーストは、何か見ることはできないけれど見たことによって生じる感じを受け取ることはできるので、その「感じ」だけがあればいいということです。
そうすると脳も必要なくなり、全ての物が無いとしても矛盾は生じません。意識と、意識の感じる何かがあればいいわけです。これを読んでいるあなたが意識しかない哲学的ゴーストだと仮定しても、そうでないと証明することはできません。目で見てこの文章を読んでいるというのは錯覚で、意識だけがあってそこに文章を読んでいるという感じが与えられているだけかもしれません。そんなことはないとコメントを書き込んだりしたとしても、それもまた錯覚で意識だけがそう思っていて実際には何も書き込まれていないのですが、書き込んだという感じる何かが与えられているだけなのかも。



参考リンク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93 哲学的ゾンビ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%94%E5%88%86%E5%89%8D%E4%BB%AE%E8%AA%AC 世界五分前仮説 - Wikipedia