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「詭弁論理学」紹介

http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080828/p1の「俺が見たトリアージ論争 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」で紹介されていた本「詭弁論理学」に関して。引用されている部分を探していたら、ほとんど読み直すことになってしまいました。
初版1976年とかなり昔の本ですが、今でも売っているロングセラーです。題名の通り、詭弁についての本で、目次から項目をいくつかピックアップすると、強弁術、二分法、相殺法、詭弁術、深遠な言葉、論点のすりかえ、消去法、ドミノ理論、などがあります。


面白そうな部分を引用しながら紹介していきたいと思います。はじめの方にある「無理押しの強み」ではこんなことが書かれています。

真実とは、たとえば「議論に強いからといって、頭がよいとは限らない」ということである。昔から「無学者、論に負けず」というように、相手のいうことなどまるでわからない(わかろうとしない?)石頭の方が、えてして自分のいいたいことを押しとおしてしまったりするのものである。


(「詭弁論理学」 3ページより引用。強調は引用者による。)


そのあとに落語の「粗忽長屋」や映画の「寅さん」などが例として紹介されています。「二分法」の中の「魔女狩りの実態」には魔女裁判のプログラムとしてフローチャートが登場します。これは挿画の安野光雅が「わが友石頭計算機」に描いた物の流用ですが、女ならば必ず魔女になるというものです。そして「現代の魔女狩り」としてはこんなことを。

強権をふるっての、あるいは「悪魔のイメージ」を利用した二分法は、今でも各所で使われている。「あいつはアカだから気をつけろ」とか、「保守反動」、「曲学阿世*1」、「裏切り者」、「××主義者」などというレッテルによって、相手の発言(あるいはその効果)を封じこめようとする作戦は、そういう言葉に悪いイメージをもっているひとたちに対して、非常に有効に働くからである。こうして「どこがどう悪いのか、どの点は認めなければならないか」という細かい議論は吹きとばされて、「根本的にまちがっている」という結論が強調される。

(「詭弁論理学」 38〜39ページより引用。強調は引用者による。)


この二分法への反撃として「私の意見にさからうものは、悪魔だ」という二分法に対し「そう、私は悪魔だ」と開きなおるやり方が41ページに書かれています。これは最近読んだhttp://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20080829/p1の『「あたまがわるい」と言われたときに、どんなこと言えばいいのかわからないの - 模型とキャラ弁の日記』を連想させました。その後の具体例としては作者が中学生のときの老先生の失敗や、宗教改革者のルターについて書かれています。
そのすぐ後にある「相殺法とは」では、相手のいうことに賛成しながらも、重箱の隅をつつくようなことをいいだして、相手の言い分を帳消しにしようとする方法が紹介されています。これもいくつかの具体例が紹介されていますが、「美しい相殺法」として聖書の中の「罪なきものまず石をなげうて」という逸話が出てきます。

自分の罪との相殺を認めて、女をゆるしたパリサイ人たちも、立派ですね。


(「詭弁論理学」 47ページより引用)

と最後も美しくまとめています。


今度は「全ては幻」からインドの王様に仕えていた哲学者が、「すぺてのものは幻にすぎない」という学説を信じていたのに暴れた象から逃げたときの話。

それを見た王様がわらって、
「お前は幻の象におびえて逃げるのか?」
とからかったところ、哲学者は少しもまいらなかったという。
「王様、私が逃げたとおっしゃいますが、私の幻が逃げたところをごらんになっただけなのです」


(「詭弁論理学」 60ページより引用)


これを読んだときには、「懐疑論者も車を避ける」という言葉を連想しました。*2


「失敗の逆用」では消去法を悪用した詭弁法。

消去法を利用した詭弁術の特徴は、「どんな答でも、消去法の順序を変えるだけで、望みのままに出せる」ということである。

(「詭弁論理学」 109ページより引用)


その実例として、回答の存在しない覆面算で、ある数が0から9までのどれかであって、1から9ではないので0であるという結論を出したり、同じ条件で0から2でも4から9でも無いので3だという結論も出せるし、ほかの数でも望みの結論が出せることを書いています。これは消去法と背理法の違いはありますが、昨日書いた「背理法によって存在しないことを証明する」や、そこでとりあげているエントリーを連想しました。消去法と背理法は、その考え方や必要な前提条件が似ていますね。アシモフの「黒後家蜘蛛の会」にも消去法を使った話がありました。あり得ないようなゲストの話なんだけど、消去法を使うと結論はひとつ。


「詭弁術の総括」の「健全な常識」からは「俺が見たトリアージ論争 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」と同じ部分を引用。

いかに力強い言葉で説得されようと、
「だから、官憲も婦女子も、無差別に殺せ」
というのが結論であれば、断然はねつけるだけの理性は残されなければならない。
「あなたの考え方には、ついていけません」
反論はこれで十分である。


(「詭弁論理学」 116ページより引用)


そのすぐ後の「言葉の意味」では「本質的」とか「純粋の」といった言葉に注意するよう書かれています。言葉の本来の意味が消えて、ほしいままに使われるおそれがあるというのです。そしてそういったときにはなるべく具体的にどういったことなのかを説明してもらうことが大切だとしています。その後に具体例をつかって説明がされています。他の部分もそうですが、説明のあとに具体例をいくつか出して解説しているのは、なるべく誤解が生じないようにということなのでしょう。


「正しい議論のための原則」からは項目だけを引用。

【原則1】 無理やり説得しようとするな。
【原則2】 時間を惜しむな、打ち切るのを惜しむな。
【原則3】 結論の吟味を忘れるな。
【原則4】 「わからない」ことを恥じるな。


(「詭弁論理学」 121〜122ページより引用)


それぞれの原則に関する説明も本には書かれているので、関心のある人はぜひ読んでください。
ところで、「あなたの考え方には、ついていけません」といったようなことを議論をしている相手に言われた場合はどうしたらいいんだろうかということを考えました。相手の「健全な常識」によって、自分の意見が全否定された場合の対応というのは難しいように思います。
具体的にどんなものがあるかというと、何が何でも「原子力反対」、「遺伝子組み換え作物反対」、「予防接種反対」などを思いつきました。それぞれの安全性などについては大切であるし、しっかり調べたり議論する必要があるとは思いますが、議論を拒絶して「そんなの絶対に反対。反論はこれで十分。」と言うのはどうでしょうか。こういった態度は26ページの「小児型強弁」、「小児病」と言ってもよいかもしれません。
ただし、自分が絶対に正しいと思い、相手を「小児病」扱いするのも正しい態度とはいえないでしょう。なんとも難しいところです。上で引用した原則を頼りにしながら、個別に判断していくことが大切でしょう。


「論理の遊び」という章では詭弁から離れて、論理パズルなどが書かれています。そして「つまづきの石」では数学がきらいになるひとのつまづく「石」としてこんな問題が出てきます。

「三つのリンゴと二つのミカンをあわせるといくつになりますか」


(「詭弁論理学」 136ページより引用)


この問題は、前に「リンゴとナシを足す」で取り上げたのと同じ構造ですが、「詭弁論理学」に出てきたとは読み直すまですっかり忘れていました。



詭弁論理学 (中公新書 (448))

詭弁論理学 (中公新書 (448))

*1:曲学は真理を曲げた不正な学問で、曲学をもって権力者などにおもねり人気を得ようとすることを「曲学阿世」というようです。

*2:http://b.hatena.ne.jp/REV/%E6%87%90%E7%96%91%E8%AB%96%E8%80%85%E3%82%82%E8%BB%8A%E3%82%92%E9%81%BF%E3%81%91%E3%82%8B/