Log of ROYGB

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終わり。でも何が?

http://www.hatena.ne.jp/1130340247

「死んだら終わり」ということを、容赦ない感じで説明してください。
参考リンク : http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20051026#1130337796
「死んだら終わり」ではない、という方の回答はご遠慮ください。


「死んだら終わり」というのは確かにそうだと思う。しかし、なにが「終わり」なのだろうか。
まず、「肉体の終わり」というものが考えられる。死んでも肉体が無くなるわけではないが、生命活動は終わる。ただ、「生命活動が終わる」というのは「死んだ」というのを言い換えただけなので、説明にはなっていない。また、死んだ後も肉体が生きているという反例をあげることもできる。
ガン患者から取り出した「ヒーラ細胞」のように、死後も肉体の一部が研究用に培養されることがある。アイバンクをはじめとする臓器移植によって、死んだ人の一部が生き続けることもある。
一部の肉体が生きているのではだめなのだろうか。人間以外の生き物では、一部から全体を再生できるものもある。挿し木でふえる植物はそうだし、動物でもヒトデなどは高い再生能力をもっている。
人間の場合でも、肉体の一部が失われても死ぬと決まったわけではない。死なない為の病気の治療によって肉体の一部が取り除かれることさえもある。


次に「精神の終わり」について考えよう。肉体とは違い、精神は死ねば無くなる。だが、何が無くなるのだろう。何かを考えたり、自己を認識したりもするのは「意識」だが、意識は死ななくても無くなることはある。眠っているときや、意識不明の時だ。もちろん、死なない限り、眠り続けることは無いし、意識不明のままということも無い。
視覚や聴覚などの五感と、それにより反応する神経系は、「意識」を作り出すベースになっていると考えられる。五感の全てが無くなれば、外界とコミュニケートするのは、かなり難しくなる。それでも何かを考えることが出来なくなるわけではない。
「考える」というのは「意識」の機能の一つと考えられるが、それ以外にも「記憶」は意識の機能として重要だろう。意識を生み出すために記憶が必要だとも考えられるが、記憶喪失などで記憶を失ったとしても意識が無くなってしまうわけではない、。
記憶ならば、外部に記録することも出来る。では、「考えること」を外部に記録することは出来るのだろうか。この場合、「考えること」は何かという問題があるが、もし記録が可能ならば、それを使って外部に「意識」を作り出すこともできるだろうか。

外部に「意識」が残っていたら、「肉体の終わり」ではあっても、「精神の終わり」では無い状態も可能になるかもしれない。完全な意識ではなく、意識の一部かもしれないが…。


「死んだら終わり」というのは確かにそうだと思う。一部の例外はあるとしても。