パスカルの賭け
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20090128#1233072190の『ひとまず「死後の世界」を信じてみる』に書かれていたこと。
そして、同じように、「死後の世界はある」とすると、実際にそれがあるかないかにはまったく関係なく、死に対する恐れを取り除くことができてしまうのです。どうでしょうか? あるなしは置いておいて、ひとまず信じてみる、そうしてみる。ここのところがポイントです。もしなかったら……という恐れは、ほんとうは必要がないものなのですよ。
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20090128#1233072190
これは「パスカルの賭け」の変形といえそうな気がします。パスカルの賭けは神の存在に関するものですが、賭けの結果として得られるものとして死後の幸福が出てくるので、ほとんど同じといってもいいかも。パスカルの賭けに関する話は、検索すると沢山見つかります。
もう一つ連想したのは「処刑」という星新一のショートショート。銀の玉とともに火星に送られた男は、水を手に入れるたびに死を意識しなければなりません。絶えず死を意識させられるという残酷な刑罰です。
男は、銀の玉というのは目に見えて手にも取れる存在なので気になるが、地球では直接は目に見えず感じられないので誰も気が付かないだけで同じなのだということを理解して心の平安を得ます。
しかしこれは通常の生活が、いつ爆発するかわからない銀の玉がそばにいるのと変わらないということでもあります。別の言い方をすれば、誰の頭の上にもダモクレスの剣がぶら下がっているのです。寝ている間に死んでしまうだけでなく、起きている今この瞬間に心臓が止まる可能性も無いわけではないのです。
まあ、あまり考えすぎても結論もでないし日常生活に支障をきたすので適当なところで止めにして、しばらくしたらまた考えるということを繰り返してます。変なことを考えることができるのも、生きていればこそです。
最近読んだhttp://www.faireal.net/の「2009-01-24 ウツボ・スベスベ・イチゴ」も今回の話のきっかけになっているかも。