Log of ROYGB

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意識

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070204/1170557201の「分裂勘違い君劇場 - 茂木先生ごめんなさい><。意識の謎を完全に解いてしまいました。」に関して。

「脳の物理現象によって、意識を説明できない」ということは、「意識」とは、物理現象を超越した、霊や魂のようなものなのでしょうか?

この辺は同感です。哲学的ゾンビが意識やクオリアを持たないというのは、結局のところ魂がないというのを言い換えているのに過ぎないのではないかと思うことがあります。
しかし、直接的に測定できない物は科学では解明できない、というようなことには賛成できません。超ひも理論であつかう「超ひも」は直接的な測定は到底できないサイズです。意識が波動関数を収縮させるというのは証明されたことではありませんが、これは意識が物理現象に対して相互作用する例と考えることもできます。


もう一つ、“科学的・客観的・合理的思考の限界”と書かれた部分についてもそんなこと無いんじゃないのという立場から書いてみます。

そして、「(A)と(B)のクラスに互換性がある」という仮説を立てて推論すると、「ニューロンを解析し、科学的思考を積み重ねれば、いつかは「赤いという感覚それ自体」にたどり着くはずなのに、実際には、いくらニューロンを解析しても、「赤いという感覚それ自体」が見あたらない」という矛盾が生じますが、「(A)と(B)のクラスに互換性がない」という仮説を立てて推論すると、「ニューロンをいくら解析し、思考を積み重ねても、その思考は全て別クラスの思考なので、「赤いという感覚それ自体」には決してたどり着けないのは当たり前である。」ということになり、どこにも矛盾も謎も生じません。


ここで(A)=(B)となるような(A)を考えることはできないでしょうか。その場合は間違いなく互換性が成立します。もし一般的には互換性が成立しないとしても、互換性が成立する特殊条件で解を求めることができれば一歩前進です。言葉とその意味でいえば、「赤い」という言葉自体は赤く無いですが、「黒い」という言葉はそれ自体も黒いというような感じです。他には「長い」という言葉は長くないが「短い」という言葉は短いし、「単語」という単語はそれ自体をあらわしています。
「意識」とその対象について考えると、「意識」について意識すれば互換性が成立するのではないでしょうか。「考える」ことを考えるわけです。