Log of ROYGB

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電気ショック

http://d.hatena.ne.jp/REV/20080116/p1の「相関はスタートなの。あなたにはゴールでも。 - REVの日記 @はてな」で紹介されていた「学習性無力感」と逆のことを読んだのを思い出しました。
まず「学習性無力感」の実験。

実験は1967年にセリグマンとマイヤーが犬を用いて行った。 予告信号のあとに床から電気ショックを犬に与えるというものである。犬のいる部屋は壁で仕切られており、予告信号の後、壁を飛び越せば電気ショックを回避できるようにした。 また、前段階において次の二つの集団を用意した。 電気ショックを回避できない状況を用意し、その状況を経験した犬と足でパネルを押すことで電気ショックを終了させられる状況を経験した犬である。 実験ではその二つの集団に加え、なにもしていない犬の集団で行った。 実験の結果、犬の回避行動に差異が見られた。前段階において電気ショックを回避できない犬はその他の集団に比べ回避に失敗したのである。具体的にはその他の集団が平均回避失敗数が実験10回中約2回であるのに対し、前段階において電気ショックを回避できない犬は平均回避失敗数が実験10回中約7回である。 これは犬が前段階において、電気ショックと自分の行動が無関係であると学習しそれを認知した為、実験で回避できる状況となった場合でも何もしなくなってしまったと考えられる。これをセリグマンらは学習性無力感と呼んだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%80%A7%E7%84%A1%E5%8A%9B%E6%84%9F


次にストレスの与える影響についての実験。

 アメリカ軍の研究所にいたJ・ブラディが行ったサルのストレス実験はなかなか興味深い。2匹のサルA・Bに不愉快な電気ショックを与える実験である。ただし、サルAにはそれを回避できる方法を教育し、手段を与える。サルBには教育もほどこさず、手段も与えない。双方に同じ一連の電気ショックを与え続けたのち、それによる影響の程度を比較するのである。
 実験では、部屋の赤ランプがつくと直後に電流が流れビリッと足にくるようになっているが、Aにはスイッチが渡されている。赤ランプの点灯直後にそのスイッチを押すと電流が切れ、ショックは回避される。Aはスイッチを管理して災厄を未然に防げるのである。
 しかし、Bにはそのようなスイッチは与えられず、赤ランプが点灯後、電気ショックをもろに受けてしまう。
 この電気ショック実験を一定の間隔で毎日繰り返したところ、21日ほどしてサルAが胃潰瘍で死亡し、Bは異常もなく、その後も生き続けたというのである。
 不愉快な電気ショックを回避できるサルAが死に、断念して電気ショックを受け続けたサルBのほうが平気であったということになる。

http://www.president.co.jp/pre/20010212/02.html


犬とサルとの違いなのか。それとも無気力になるか、それともストレスで死ぬかのどちらかになってしまうということなのでしょうか。電気ショックを回避しなければ学習性無力感が待っていて、回避すればストレス死が待っているのかも。
少し違いますが、前に「氷水」で紹介した仮想実験も思い出しました。

部屋に8匹の猿を入れます。部屋の中央にははしごが設置されています。そのはしごに登ると天井から吊るされたバナナを取れるようになっています。

猿がはしごを登ろうとすると、全ての猿に氷水が降り注ぎます。しばらくすると、猿達は氷水をかけられたくないので、はしごを登る猿を攻撃するようになります。その後、どの猿もはしごを登ろうとしなくなります。

元々いた8匹のうちの一匹を新しい猿に置き換えます。新しく来た猿は、はしごとバナナを見ます。何故、他の猿達がバナナを取りにいかないのかと不思議に思いつつも、新参者の猿はハシゴを登ろうとします。すると、他の猿達はその新参者の猿をフルボッコにします。新参者の猿は何故ボコボコにされたのかはわかりませんが、梯子を登ろうとするのをあきらめます。

http://www.geekpage.jp/blog/?id=2007/10/22


企業文化の話として紹介されていますが、社会の慣習などにも応用できるかもしれません。