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観測しなくても不確定

不確定性原理は観測にかかわらず、本質的に不確定だということについて。「光の場、電子の海」では、ハイゼンベルクの説明にも誤解される点があったとしています。
波長の短い光を使うことで位置は正確に求められるとしても、波長の短い光はエネルギーも大きいので測定によって運動量を大きく変えてしまう。逆に、運動量を変えないためにエネルギーの低い光を使えば、波長が長いので正確な位置はもとまらないという説明に続けて、こう批判しています。

この説明では、不確定性原理とは、「電子自体の位置と運動量は正確に定まっているのに、測定しようとすると対象の状態を乱してしまうので、人間にはそれを知るすべがない」という意味に解釈される。ハゼンベルク自身、不確定性について語るとき、「情報(Auskunft)があたえられない」とか、「不確定にしか知り得ない」という言い回しを用いており、不確定なのは人間が得る情報であるかのように論じている。


光の場、電子の海―量子場理論への道 (新潮選書)」吉田伸夫著 110−111ページより引用。


電子の位置と運動量が正確に定まっているというのは、アインシュタインなどの提唱した隠れたパラメータなどにも通じます。量子力学への批判として、正確な量は存在するのだが理論が不完全なために確率的にしか予測できないのが量子力学だなどというものがありました。EPRパラドックスもその一環ですが、不確定なのは観測に起因するものではなく、本質的な存在として不確定であるようです。

しかし、この解釈は正しくない。人間が知る知らないにかかわらず、電子の位置と運動量は不確定性原理を満たしている。例えば、原子内部で電子が原子核と合体しないでいられるのも、不確定性原理の表れである。仮に電子が原子核にくっつくとすると、位置の区画訂正はたかだた原子核のサイズに制限されるが、そうなると、不確定性原理ΔxΔp〜hによってΔpがきわめて大きくなり、その結果として電子は大きな運動エネルギーを持つため、結局、原子核と合体できず、原子も崩壊せずに済むのだ。これは人間がどのような情報を得るかには無関係な現象である。


光の場、電子の海―量子場理論への道 (新潮選書)」吉田伸夫著 111ページより引用。


不確定性原理が存在しなかったら、水素原子以外の原子も存在しないだろうということも別の本で読んだ記憶があります。原子核を構成する陽子や中性子を結びつけている中間子も不確定性原理によって存在するからです。


「測定しようがしまいが不確定である」というのが興味深いというか重要な部分なのでしょうが、なかなか理解しがたいように思います。日常的な考え方からいえばむしろ、「測定しようがしまいが確定している」と言いたいところです。
しかし、量子力学が正しいとすれば、これは複数の実験によってほぼ間違いのないところでしょうが、「位置や運動量などに関して確定した実在があるのではなく、不確定であることが確定している」ということのようです。また、量子力学で確率的に表現される事柄に関しても、「決まった実在を確率的に予測しているのではなく、確率的な存在が実在する」と理解する必要があるようです。


(追記)
観測しない状態で確定している状態と、観測して確定した状態が違うことから考えると、観測が全く無関係ということもないか。