Log of ROYGB

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良き○○人

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070514#1179076201の「そこで逃げちゃえ! 高倉健!」に関して。

見ず知らずの女性が被害に遭うかもしれないのは、それはそれで可哀想だし助けたいですけど、自分が被害に遭うのは嫌ですもんねぇ。

  

 さて、上の文章を読んでどう思われたでしょうか?

 やはり人間失格と思いましたか?

 女性の場合、こういう男が自分の恋人だった場合、どう思いますか?

  

 「酷いな」とか「そんな人は嫌だな」と思うのであれば、それは相手に対して「男らしさ」という役割を押し付けているわけです。

http://d.hatena.ne.jp/takisawa/20070514#1179076201


これを読んだときはなるほどなと感じたのですが、少ししてどちらも男性の場合などで考えたらどうだろうと思いました。はてなブックマークのコメントにも男らしさよりも人間性の問題ではというものがあり、それもまたなるほどなと感じました。
人間らしさとして考えた場合、困っている人はやはり助けるべきでしょうか。聖書の中の「良きサマリア人」のエピソードのように、困った人を助けた人が良き隣人というわけです。その一方で、逃げてしまうのもまた人間だよというという思いもあります。「良きサマリア人」の話でいえば旅人に何もしなかった祭司やレビ人のようにです。リンク先の話の場合は、さらに自分が危険にさらされたり、もしかして死ぬかもしれないと考えるならば「カルネデアスの板」のような選択にもなるのでしょうか。状況は違うけど、溺れている人を助けようとした人が死んでしまうといったことはニュースでよく目にします。
また、映画の中の高倉健のように「男らしく」もしくは「人間らしく」行動した結果、過剰防衛として刑務所に行くことになったらどうでしょう。その場合は、助けられた女性は「女らしく」もしくは「人間らしく」帰りを待ち、黄色ハンカチで歓迎することが出来るだろうかなんてことも考えました。これが宮部みゆきの「スナーク狩り」や、古いアニメの「チリンの鈴」では、映画「幸せの黄色いハンカチ」のような幸せな結末は望めません。

ところで、聖書の「良きサマリア人」の話を理解するには、サマリア人がその当時にどういう扱いを受けていた人達なのかというのを理解する必要があるというのを読んだことがあります。



スナーク狩り (光文社文庫)

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